レベンタートの妖精使い

空の章/誰そ彼

 夕日が地平の向こうに消えようとしている黄昏時に。
 レベンタートの妖精使いは、ただ、呆然と立ち尽くしていた。
 
 無残に破壊された、魔道二輪を前にして。
 
 魔道二輪とは、その名の通り魔道機関で造られた自動二輪車の総称である。小型化、高性能化が進む魔道機関だが、そもそも陸上を進む乗り物に乏しい楽園では「自動車」の開発が著しく遅れていた。数十年前までは、飛空艇が小型化し一般人にも手の届くものになっている傍ら、普通に馬車が道をがたごと走っているご時勢だったのである。
 近年になって魔道機関の急速な進歩とともに陸上の乗り物も開発されるようになり、町でも大きめなサイズの魔道四輪はそこかしこで見られるようになった。
 しかし、まだ一人乗りの自動二輪車はそこまで普及しておらず、普及していないということは高価であるということでもあり。
 その、一般人にとっては相当お高い魔道二輪が。
 やっとのことで自分のものになった、最新型の魔道二輪が。
 気づけば、木っ端微塵になっていたのである。
「ふ、ふふふ、ふふふふふ」
 妖精使いの唇から、乾いた笑い声が漏れる。いつもは明るい光を宿している海色の瞳も、今日ばかりは暗く淀んでいる。それどころかあらぬ方向を見つめているような気がする。相棒の妖精『風』が流石に不安に思い「大丈夫ー? 見えてるー?」と妖精使いの目の前で半透明の手を振ってみるが、妖精使いは取り合わない。
 『風』は相手にして貰えないと知ってむぅとむくれつつも、目の前の惨劇に目を向ける。魔道二輪は、そりゃあもう執拗なまでに破壊されていた。これを修理屋に持っていったところで「で、これ原型は何なんですか」と言われかねない。そのくらい完璧に破壊されていた。
「ま、まあこれは、ショックでかいよね……」
 いつもならまず一番に騒ぎ立てる『風』も、今回ばかりは妖精使いをからかう気にはなれず口端を引きつらせる。
 『風』は魔道機関に対し特に思い入れがあるわけではないが、妖精使いが魔道二輪にかけた情熱は嫌というほど見せ付けられている。妖精使い曰く「単車は男の浪漫だろ」。『風』は女なので男の浪漫が何たるかはやっぱりよくわからないのだが。
 ともあれその「男の浪漫」を叶えるべく妖精使いは旅の合間にこつこつ金を貯め続けていたのである。金を集める手段があまり大きな声では言えない手段だったのは、この際気にしてはいけない。手段が何であれ妖精使いは自分が考えうる限りの努力をしたのである。
 で、その努力の結果がこれだ。
 そりゃあ、意識の一つもぶっ飛ぶというものである。
「でも、誰がこんなことやったんだろ?」
 『風』は首を傾げる。これは、単に「殴って壊した」ということではない。原形を留めない破壊っぷりからは明らかに妖精使いの心を折ろうという悪意が感じられる。
 その時。
「はーっはっはっは、見たか、レベンタートの妖精使い! 素直に僕の言葉に従わないからこうなるんだ!」
 唐突に、場違いかつ近所迷惑な高笑いが響きわたった。
 妖精使いと『風』は同時にばっとそちらを向く。こういう時ばかりは何故か息の合う二人である。
 そして、二人の視線の先には木肌色のローブを身に纏った一人の少年がいた。楽園の成人人間男性にしては背の低い方である妖精使いと比べても相当に背が低く、今にもローブの裾を引きずってしまいそうだ。赤みがかった肌と丸い鼻を見るに、どうやらドワーフのようであった。
 そんな小さな体のどこからそんな声が出るのかと問いたくなるような少年の笑い声が響く中、虚ろな目の妖精使いはぼそりと呟いた。
「誰だよお前」
「だ、誰だよって、僕の手紙を読んでいないのか!」
 手紙?
 見覚えのない少年の言葉に引っかかるものを感じて、『風』は首を傾げた。ちなみに妖精使いは俯いたまま無言でドワーフの少年を見つめている。上目遣いで。
「……ああ、もしかして三日くらい前に宿の窓に挟んであった手紙のこと? 『最強の妖精使いの座をかけて勝負しろ、町一番の大樹の下で待つ』っていう」
 元より妖精使いとしてのプライドなど持ち合わせるはずもないレベンタートの妖精使いは、ただのイタズラだろうとあっさり破って捨ててしまっていたことを思い出す。だが、そういえばあの手紙の末尾には何やらとんでもなく物騒な文面が書いてあったはずだ。
「 『もし、応じなければ貴殿の一番大切なものが永遠に奪い去られることになるだろう』……って、あっ」
 『風』の視線が一点に留まる。
 そう、かわいそうなくらい徹底的に木っ端微塵にされてしまった魔道二輪に。確かにそれは「一番大切なもの」だった。最低でも、今この瞬間の妖精使いにとっては。
 少年は勝ち誇った笑みを浮かべ、無骨な指をびしりと妖精使いに突きつける。
「その通り! さあ勝負だレベンタートの妖精使い! このオグルクの妖精使い、バジル・エーベルが」
「まあいい、お前が誰だろうと俺にゃ関係ねえんだよ」
 少年の名乗りを遮り、妖精使いは無造作にゆらりと一歩を踏み出す。とても落ち着いた喋り方だったが、明らかに目が据わっている。その静かな迫力に、バジル少年も思わず言葉を飲み込んでしまったようだった。
「ただお前が俺の愛と努力の結晶ジェイミーくんを木っ端微塵にしたという事実だけわかればそれでいいんだ」
「よくわかんない名前ついてた!」
 『風』が反射的にツッコミを入れるが、もちろん妖精使いは聞いちゃいないわけで、一歩、また一歩バジルに迫っていく。ものすごくドス黒いオーラを漂わせながら。
 明らかにそのオーラに飲まれかけていたバジルだったが、何とか首を横に振って胸を張る。
「ははは、そうだかかってこい、レベンタートの! お前の魔法に打ち勝てば、この僕が……げはあっ!」
 やっぱり、バジルの言葉はあっさり遮られることになった。今度は、情け容赦ない妖精使いのチンピラ蹴りによって。ころんと地面に倒れたバジルは一瞬何が起こったのかわからず目を白黒させていたが、やっと自分が何をされたのか気づいたらしく非難の声を上げる。
「ま、待て! 僕は妖精使いとして、勝負を挑んで……」
「誰が勝負をするって言ったよ?」
 妖精使いは唇の端をつり上げて、笑う。
 何だかんだでつきあいの長い『風』ですら逃げ出したくなるくらい、壮絶にして冷酷な笑い方だった。
「妖精なんて使うまでもねえ。これは、制裁だからな」
 もしくは、一方的な私刑。
 言い切った妖精使いの顔を見上げて、バジルは悲鳴を上げるしかなかった。『風』は目を逸らしていたからわからないけれど、とんでもなく恐ろしい顔をしていたのだろうなということは想像できる。
 ――実はこいつって妖精使いとか言われてるけど、実質ただのチンピラだしなあ。
 宣言通り妖精の力も借りようとせずに一方的にバジルを蹴り飛ばし踏みつける妖精使いを横目に見やり、『風』はやれやれとばかりにため息をついた。
 
 だからといって、バジルを助ける気はなかったわけで。