密室。
そこが、『異能府』の幹部の一人、『イの零』が指定した報告の場だった。『イの五七』は何処か居心地悪さを感じつつも、直立不動で『イの零』が『イの五七』の報告書……『ストーリオ』の言動を逐一記録したもの……を読み終わるのを待っていた。
そして、『イの零』が目を上げる。鋭い目に見据えられ、『イの五七』は息が詰まるような錯覚を覚えたが、何とか言葉を紡ぎ出す。
「……以上が『ストーリオ』の供述です、『イの零』 」
「なるほど。『イの五七』、ご苦労だった。実は、一つ興味深い報告があってな」
珍しく、『イの零』が笑顔を見せたことで、『イの五七』は虚をつかれた。
この調査は穴だらけだった。『ストーリオ』が時間跳躍者であるという証拠は一つもなく、単に『ストーリオ』の証言をまとめることしかできなかったということからも、上司である『イの零』から叱責を受けるだろうと思って疑わなかったのだ。
「何ですか?」
「一九七八年五月に、『ストーリオ』らしき人物が目撃されていた」
「それは、どういう」
「これを見ろ」
『イの零』は、『イの五七』に一枚の写真を示した。大きく引き伸ばされた、写りがいいとは言えない古い写真だ。
「 『ストーリオ』は一九六六年生まれ、つまりこの地点では十二歳だったはずだな」
「はい」
答えながら、『イの五七』は写真を覗きこみ、絶句した。
写真の中心に写っていたのは、公園で遊ぶ見知らぬ小学生くらいの少年少女。だが、『イの零』が示していたのはそこではない。その背後、ベンチに腰掛けているのは……
「わかるだろう」
『イの零』が笑う。
そこに写るのは、『ストーリオ』。しかも、目測では年齢は二十代くらいだろう、今の『ストーリオ』とそう変わっているようには見えない。つまり、この『ストーリオ』は。
「君が報告してくれた奴の言葉が真実だとすれば、ここに写っている『ストーリオ』は、七十八年当時の『ストーリオ』ではなく、時間跳躍を経て偶然この時代に辿りついたある瞬間の『ストーリオ』となる」
何故だろう。息苦しい。
「これだけではない、『イの五一』の調査では一九四〇年にも『ストーリオ』らしき人物の発見報告があったという。これで、全てのつじつまは合う」
何故……今更彼の供述が、「全て真実でなければよかった」と考える?
そんな『イの五七』の葛藤を断ち切るように、『イの零』は朗々と言った。
「これより『異能府』は、『ストーリオ』を階位特級、『時間跳躍と空間跳躍の複合異能』と認定する」
「階位、特級……?」
「今までに見ない例だからな。二級『異能』の空間跳躍だけならばまだしも、まさか私が生きている間に時間跳躍異能の処理に立ち会うことになるとは……『異能』とは、わからんものだ」
胸が、ひときわ大きく、冷たく鳴った。『イの五七』の動揺を映し出すかのように、天井の蛍光灯がちらちらと瞬く。
「処理」、という単純な言葉が、これほどまでに強く残酷なものだったとは。
だが、それが『異能府』のやり方。これまでもずっと、全く同じようにやってきたはずだ。
そして、これからも。
「 『イの五七』はこちらの準備が整うまで、『ストーリオ』との接触を続けろ。異変があれば、すぐに知らせること」
「了解しました」
何処か重たいものを感じながらも、『イの五七』は『イの零』に敬礼し、『異能府』の総意を口にした。
「 『全ては、現実の均衡を保つために』 」
「……って、言うけどねえ」
秋谷はスペースキーを叩いて大きくあくびをした。時計を見れば、午後三時。朝にここに押し込められてから今まで、一文字入力してはバックスペースの繰り返しで、原稿が進んだとは到底言えない。
「現実、現実かあ……」
画面の中で、文字だけで構成されているはずの登場人物がこちらを睨んでいるような錯覚に襲われ、思わず苦笑してしまう。
今は「現実」のことよりもよっぽど「虚構」の方が自分の頭を悩ませているじゃないか、などと下らないことを考えつつバックスペース。
そして、気を取り直すために、秋谷はわざとらしく猫なで声を上げた。
「おやつの時間ですよう、加藤さん。甘味が恋しくなっちゃう」
「温泉饅頭の盆ならそこにあるじゃないですか」
言われたとおり、いつの間にか机の上には温泉饅頭が乗っかった盆が置かれていた。ついでに熱い茶まで注がれている。秋谷は呆然とその盆を見つめながら、呟いた。
「……いつ、淹れたんですか」
「さあ、いつでしょうね」
いつも硬く、感情が感じられない加藤の声に、ほんの少しだけこの状況を楽しむ色が混ざった気がした。その驚きも混ざり、秋谷は思わず妙なことを口走った。
「も、もしかして加藤さん、私を差し置いて時間を越えちゃったりとかした? 実はサイキッカー? 『ストーリオ』だったりする?」
「何言ってるんですか、頭沸いてます?」
そんなわけないですよ、と言う加藤の声はやはり冷たくて、一言前の冗談交じりの声は聞き間違いだったのかと秋谷は深々と溜息をつく。そこに、加藤が止めを刺した。
「さっき一瞬寝ていたでしょう、秋谷さん」
「嘘っ、え、寝てた?」
「その間に淹れたんですよ。気づいてなかったってことはやっぱり寝ていたんですね」
「う……」
暗に「仕事もせず寝てるなんて」という嫌味を含んだ言葉を容赦なく浴びせられ、秋谷はうつむきながら、温泉饅頭にかかっているビニール袋を外しにかかる。
「それと」
「え?」
「原稿、さっぱり進んでないじゃないですか」
多分、茶と饅頭を差し入れるときに見たのだろう、加藤は淡々と言い放つ。秋谷はやけになって温泉饅頭を丸ごと一個、無理やり口の中に突っ込んだ。
それから、喉に詰まらせてむせた。
喜劇『世界の終わり』