「永遠、悠久、あるいは永劫。……常に変化を続ける、不安定極まりない世において、神話の時代から、神の力が科学に取って代わられた今に至るまで誰もが求めたもの」
――それでいて、誰の手にも届かなかったもの。
「しかし、今、ついに永遠への端緒が開かれようとしている」
ジャックされた〈蜃気楼閣〉中のネットワーク越しに、拡張視界いっぱいに映る「無限大」の記号に似たアイコン。朗々と響く音声。
「さあ、失われゆくものに別れを告げよう。誰にも奪われぬ安寧をあなたの手に」
馬鹿馬鹿しい、と吐き捨て、弓張はうるさく明滅する拡張視界を手動で落とした。どうせ、優秀な部下たちが、既に追跡を開始しているだろうから。
01/02 - 凍てつく
〈潮溜まり〉の冬は厳しい。海からの凍てつく風が狭い路地の隅々にまで、あるいは家々の薄い壁の内にまで入り込み、か細い命の灯火を次々と吹き消していく。冬を越えられるか否か、それは〈潮溜まり〉に暮らす者たちの切実な悩みだ。
「だからって、ウチに溜まらないでよ」
トルクアレトは溜息をつく。診療所の待合室は人でいっぱいだ。そのほとんどはちょっとした風邪や怪我を口実に訪問し、世間話に興じる近所の住人だ。
「まあ、いいけど」
「いいんですか?」
受付越しに眉を顰める
「凍えきってから来られる方が、アタシの仕事が増えるもの」
古いストーブの上で、薬缶が湯気を吹いていた。
01/03 - 熾火
「それ、トウマを知らないから言えることですよね」
無闇にカラフルな工具で診療所の配電盤を弄りながら、レイは傍らの綾瀬に語り掛ける。
「アヤセちゃん、奴のグラスの下、見たことあります?」
あいつ、めちゃくちゃ熱い目してんですよ。深い雪にも長い夜闇にも飲まれぬ、熾火みたいな目をね。
01/04 - 軋轢
「みんな仲良く、なんて頭ん中お花畑なこと言うつもりはないけど」
軋轢なんてどこにだってある。昨日まで手を組んでいた相手が今日は敵として立ちはだかることも、日々変化を続ける〈潮溜まり〉の勢力図では当然といえる、が。
「アタシの仕事を増やさないでほしいものね」
人間と、人間だったものが折り重なる血腥い路地。その只中を、薄汚れた――元は白かっただろうラボコートを纏った男が行く。
「すまない、ドクター」
「悪いと思うなら穏便にやってちょうだい、組のお抱え医師で足りる程度に」
傍らの〈潮溜まり〉の顔役にぶつくさ文句を言いながらも、ドクターと呼ばれた男はまだ息のある一人の横に膝をつき、処置を始める。
01/05 - 淵源
永遠を信奉するカルトの宣言、あるいは世界への宣戦布告はたった三分で〈蜃気楼閣〉中に響き渡った。市政の統制により、混乱はない。だが、市民の一部には恒久の安寧に対する渇望が芽生えつつある。
「仮に世界の淵源まで遡ったところで、変わらぬものなどありはしないのに」
新興企業「白雨バイオテクノロジー」の代表、
「そのクソったれな幻想が崩れたとき、連中がどんなツラを見せるか楽しみです」
ここに秘書がいたら、呆れ顔で「お里が知れますよ」とでも言っていたかもしれない。いつになく愉快な心持ちで、珈琲を一口。
01/06 - 晦冥
窓の外はいつになく暗かった。普段ならば海を煌々と照らす港の灯りが全て落とされていて、晦冥というべき闇ばかりが広がっている。
「今日からしばらく市政の監査が来る」とぼやいていた患者がいたわね、とトルクアレトは思い出す。診療所の患者には港湾労働者が多い。正規のものであれ、非正規のものであれ。
診療所の窓から見える港は、市の記録上では廃港だ。だが、暫定自治区とは名ばかりの、〈市中〉から見限られた〈潮溜まり〉にとって重要な裏の窓口でもある。故に、市政に目をつけられてはたまったものではない、ということだろう。
ひたひたと迫る黒い波が全てを飲み込む、そんなイメージを振り切るように、カーテンを引く。
01/07 - 綻び
「ドクター、また袖ほつれてますよ。どこに引っかけてきたんです?」
綾瀬がトルクアレトのラボコートの袖をつまむ。トルクアレトは分厚いレンズの下で目を丸くして、「あらほんと」と間の抜けた声をあげた。
トルクアレトのコートは、出元が〈市中〉なのか作りはしっかりしているが、何せ同じものをずっと着続けているのだ、とぼけた色が定着し、あちこち綻び、継ぎがあてられている始末。
「そろそろ新調しませんか?」
「したいとは思ってるのよ。でも、いいものが見つからなくて」
だから、今日もお願いしてもいいかしら、と眉を下げるトルクアレトに、綾瀬は「しょうがないですね、ドクターは」と微笑んで、裁縫箱を取り出す。
01/08 - 仄見える
無残に噛み切られた死体が出た。件の〈
「俺らを煙たがってる奴らが、今ばかりは『働け』ときた。現金なもんだ」
時代遅れの紙巻煙草を口の端に、弓張冬馬は夜の路地を行く。不審者の目撃情報があった場所に足を向ければ、頼りなくちらつく青白い灯りだけが点在する闇に、輪郭だけが仄見えたそれは、襤褸を纏い、背中を丸めて俯く人間の影。
「止まれ。撃つぞ」
銃口を向けて、弓張はよく通る声で告げる。だが、それはゆっくりと一歩、足を引きずりながら歩み出して。
銃声がひとつ、〈潮溜まり〉に響く。
01/09 - 浸食
「昨日の嵐で、西の桟橋が持ってかれちまった。商売あがったりだ」
「あの辺、特に浸食が激しかったものね」
トルクアレトは患者の言葉を聞きながら、淡々と怪我の処置を続ける。時折聞こえる悲鳴は聞かなかったことにしている。麻酔はいらないと言ったのはそちらだ。
痛みに涙目になりながら、それでも強がるような調子で患者が言う。
「ま、〈潮溜まり〉が沈むなら、俺も一緒だがな」
きっと〈潮溜まり〉は長くは保たない。この患者に限らず、誰もが気づきながら離れない。離れたところで行くあてもない。
そしてそれは、トルクアレトだって同じ。
「お大事に」
今日最後となる患者を見送って、診療所のシャッターを下ろす。
01/10 - 境界線
「日々発展を遂げる潮璃市ですが、暫定自治区の開発は未だ手つかずで――」
市内総合レイヤーに映る、作り物のようなニュースキャスターを視界の片隅に収めつつ、
傍らには見慣れた地図。燈が住まう地域が明るく浮かび上がる一方で、境界線を隔てた区域が灰色で描かれ「暫定自治区」の文字が添えられる。
潮璃市の一部でありながら、市民と認められない者たちが住み着くそこは、長らく市の悩みの種である、と燈は聞いている。
「市長は、人口の増加を受け、市民の居住区域の拡大を目指して自治区と交渉を続けています」
「燈、朝ご飯できてるわよ」
扉越しの声に、今行く、と声をかける、いつもと変わらぬ朝。