バースデイ・ケーキ

 スポンジにクリームを塗るのは、アキの仕事だ。焼きあがったスポンジが、真っ白なクリームで覆われていく。そうして、搾り出したクリームで飾りつけをして、最後の仕上げをナツに任せる。
 ナツは、ひとつ、またひとつと、苺をケーキの上に載せていく。純白のケーキが、赤い実に彩られていくのを見つめながら、アキは、思い切って口を開いた。

「ごめん」

 ナツが、びくりと肩を震わせる。その言葉を、恐れていたようにも見えた。けれど、どうしても言わなければならないことだ。
 そして、掠れる声で、何とかこれだけは言った。

「独りで死ぬのは、怖かっただろ」

 ナツは、最後に残った苺を一つ、ケーキの真ん中に置いた。それから、アキを振り向いて、寂しげに笑った。
「怖かった。怖かったけど、それよりも、アキさんに何も言えなかったのが、辛かった。アキさんが独りになっちゃうのが、辛かった」
 その言葉に、胸の痛みが蘇る。けれど、その痛みも受け入れて、真っ直ぐに、ナツを見据える。
 あの夜、はっきりと思い出した、胸の痛みの正体。
 それは「今日、ナツが殺された」という事実だった。
 この日、ナツのために一人でケーキを作っている間のこと。壁一つ隔てた向こうで、音もなく、悲鳴を上げることもできずに、ナツは無残に殺されていた。
 それからのことを、今のアキははっきりと思い出すことはできない。ただ、ナツと同じ場所に行くまでの時間を、意味もなく浪費しているだけだったのは、間違いない。
「だから、アキさんに後輩ができて、少しずつ今までの仕事に戻れるようになって、本当に安心したの。ちょっと妬けちゃうけど、でも、今のアキさんが少しでも前を向けるなら、その方がずっといい、って」
 そう、少しずつ。本当に少しずつではあるけれど、変わらなければならないと、思ったのだ。自分は、独りで生きているわけじゃないと教えてくれる人が周りにいてくれたから、アキはかろうじて「生きて」いられた。
 けれど、ふっと、ある日突然糸が切れてしまった。色々と、張り詰めていたものが切れた瞬間に、アキの意識は、現実から完全に乖離してしまった。
「アキさんは、素敵なお菓子を作れるし、お仕事だって一生懸命頑張ってるし、いつでもわたしを助けてくれる。でも、何でも一人で抱え込みすぎちゃって、いっぱいいっぱいになっちゃうのも、知ってたから」
「それで、俺を、ここで待っててくれたのか」
「そう。それが、わたしがアキさんにできる、唯一のことだから」
 ナツが殺されてから、記憶が正しければ六年。
 既にナツと暮らした部屋は引き払っているし、ナツと一緒にいた頃の痕跡は、何もかも捨て去った、そのはずだった。だから、きっと、この部屋は、ここにいるナツは、アキが見ている幻か何かなのだと思う。
 それでもいい、それでもよかったのだ。
 幻であろうと、何であろうと。今、折れそうになっていたアキは、かつて約束してくれたナツの「おかえり」に、確かに救われていたのだ。
「ありがとう、ナツ。それから」
 そっと、手と手を重ね合わせる。初めて二人で作った、苺のショートケーキを前に。
「誕生日おめでとう」
 あの日、言えなかった言葉を、贈る。
 その瞬間、二人の世界に、亀裂が走った。