「ねえ、ホリィ!」
雑貨屋のショーウィンドウの前で固まっていた鈴蘭が、声を上げた。
ホリィ。僕の名前だ。ただの識別記号でしかないそれを、鈴蘭はまるで歌の一節であるかのように、呼ぶ。だから、それが僕の名前であると気づくまでに、少しだけ時間が必要だった。
「……何?」
「見て、これ、とってもきれい」
ショーウィンドウの内側に飾られていたのは、硝子細工の輪だった。植物……多分、植物を模しているのだと思う。円形に絡み合い、微かに色づけられた硝子の葉は、楕円の周囲に棘を生やしたような、不思議な形をしている。
形状と展示の方式から、扉や壁に飾るものだろうと想像はできたが、一体何のために用いられるものなのかはわからない。
鈴蘭はにこにこ笑いながら、顔を覗き込んでくる。眼帯に隠されていない右目が、真っ直ぐに僕を見つめていた。
「おそろいだね」
「……何が?」
「知らない?」
「何を」
鈴蘭の言葉は時々ひどく要領を得ない。主語や目的語を決定的に欠く喋り方は、僕には真似できない。僕が理解していないことをやっと察してくれたのか、鈴蘭は今度こそ僕にもわかる言葉遣いで言った。
「ホリィ。この葉っぱの名前だよ」
思わぬ言葉に、僕は思わず「ああ」と声を上げていた。
「これが、そうなんだ」
僕の名前が、旧時代に失われた植物を示すということはかつて父さんが教えてくれた。僕に限らず、父さんの手で造られたきょうだいは皆、失われた時代に存在した「何か」の名を冠しているという。
でも、それがどのような形状をしているのか、どのような性質であるのかは全く知らなかった。興味がなかったともいう。
「可愛いよね。自然にできたはずの形なのに、ううん、だからかな、とってもきれい」
「そうかな。触ると痛そうな形をしているけど」
鈴蘭は「むぅ」と唸って頬を膨らませた。
そんなに見当違いなことを言っただろうか。別に、彼女の気分を害する気はなかったのだけど。
そう思っていると、唐突に、鈴蘭が問いをぶつけてきた。
「それじゃあ、ホリィは何をきれいだなあって思うの?」
「僕が?」
きれい。きれい?
「きれいなもの」
言葉に出してみるけれど、言葉から連想されるはずのイメージが、さっぱり像を結んでくれない。こんな質問をされたのは初めてで、考えてみたのも初めてだったのだと気づく。
きれいなもの。
何でもない言葉なのに、頭の中をかき回されるような不快感に襲われる。思わず頭を押さえてしまったその時、不意に声が降ってきた。
「何だ、二人っきりで甘い言葉でも囁き合ってんのか? 水臭えなあ、あたしも混ぜろってば」
「……ジェイ」
何故か、その瞬間に「助かった」と思ってしまった。鈴蘭の意識が、僕から、作り物のホリィの葉から、ジェイに移ったのがわかったから、かもしれない。
ジェイは、見上げる鈴蘭の頭をぽんぽんと叩いて言う。
「よーし、そろそろ服でも見に行くか。お姉さんがとびきり素敵なもんを選んでやるよ」
「本当? 楽しみ!」
小さな子供のように喜ぶ鈴蘭を横目に見つめながら、僕はもう一度、口の中で「きれいなもの」と呟いた。
その瞬間、曖昧だった思考が晴れて。
視界の端に、僕自身にもわからない小さな何かが、ふわりと浮かんで消えたような、気がした。
アイレクスの絵空事