終末の国から

廃品街の散歩者(2)

「あっはは、浮かない顔ですねえ、ヤスさん?」
 ある日、非番をいいことに特に目的もなく路地を歩いていたヤスに、何とも奇妙な格好をしたエリックが気さくに笑いかけてきた。
 着ているのが襤褸であるのは相変わらずだが、それらは赤っぽい色と薄汚れた白に統一されていて、変な形の帽子を被り、何かでぱんぱんになったずだ袋を背負っている。そんな怪人が、子供たちに囲まれて何やら騒いでいるのだ。それは「何やってんだ」と聞きたくもなる。
「めりーくりすます、というやつですよ。知りませんか?」
 どうやら、サンタクロースのつもりらしい。旧時代の文化や宗教が廃れて久しいこのご時勢だが、流石にこの年末の祭くらいは、外周にも風習として残ってはいる。
「知っちゃいるが……あー、何だ。お前は浮かれてんなあ」
「お祭は騒いでナンボ、踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら以下略ですよ。ねえ?」
 どこで覚えたのかさっぱりわからない言葉を引用し、エリックはけたけたと笑い声を立てる。子供たちも何かがつぼに入ったのかどっと笑ったが、そのうちの何人かは、ヤスに恨めしげな視線を向け、エリックにすがり付いている。
 それで、気づいた。そこにいたのは、廃品街の焼け跡でヤスに石を投げつけてきた少年たち。それに、子供たちの中には他にも何人か、廃品街に住んでいたはずの子供の姿が見える。彼らも、エリックに導かれてこの地域に避難してきた住民たちなのだろう。
 ヤスは、何とも居心地の悪い気分になる。部隊の所業を謝罪すべきだ、とは思う。思うが、謝ったところで、それ以上彼らに何をしてやれるというのだろう。
 言葉を失い、立ち尽くすヤス。なおも無言で睨みつけてくる子供たち。
 そこに、エリックのやけに能天気な声が割って入った。
「こらこら、今日はお祭なんですから。子供も大人も兵隊もありません、日ごろのことなんて忘れて、ぱーっと騒ぎましょう?」
 それと同時に、背中に担いでいた袋を下ろして、中身をぶちまける。
 中に入っていたのは、どこから掠め取ってきたのか、色とりどりの、見ているだけで歯が痛くなりそうな菓子類だった。それを見た子供たちの目が輝き……遠巻きにして見ていた大人たちも、興味を引かれて寄ってくる。
 ともすれば奪い合いになりかねない、とヤスは危惧したが、エリックはその都度的確に声をかけ、その場にいる人間の衝突を抑えこんでみせた。
 そんな中で、ヤスの存在はすっかり忘れ去られたようだった。一通り菓子がその場にいる人間に行き渡ったことを確認し、小さく息をつくエリックの横に歩み寄る。
「……ありがとな、エリック」
「いえいえ」
 にっとエリックは笑う。それにつられるように、ヤスも、少しだけ笑った。
 エリック・オルグレンを名乗るこの優男が、いつ廃品街に現れたのか、ヤスは知らない。
 記憶が正しければ、噂を聞くようになったのが、あの近辺で路上生活をしていたアル――異能の天才児アルベルト・クルティスが塔に招かれたのとほぼ同時期だったはずだから、既に数年は前だったと思う。
 逆に言えば、それより前には名を聞かなかったということになるから、元は外周の住民ではない、とも言われている。外周訛りの少ない丁寧な言葉遣いや、やけに洗練された身のこなしを見るに、野に下った貴族の子供ではないか、という噂もある。
 ただ、それ以上のことは何もわからない。どこに住んでいるかも、普段何をしているのかも不明。唐突に廃品街に現れては、住民と他愛ないやり取りをして去っていく。中には、この前ヤスが思ったのと同じように、エリックを狸や狐だとか言う奴もいる。
 エリック自身はそんな噂など気にした様子もなく、いつだって飄々としたものだが。
 旧い歌を歌い出す子供たち、そんな子供たちに合わせて手を叩く大人たちを穏やかな瞳で見つめていたエリックは、不意に呟いた。
「僕、こういうお祭騒ぎに、憧れてたんです」
「……今まで、やったことなかったのか」
 それにしては、随分と手際がよかったが。それを指摘すると、エリックは嬉しそうに笑った。
「何をしていいかわからなかったから、色んな人に、話を聞いて。必要なものを揃えたり、手はずを整えたり。何だか、そういうのって、とってもわくわくするんです」
 わくわく、か。ヤスは、子供のような無邪気さを見せるエリックを、眩しく思わずにはいられなかった。そういう感情を、いつから忘れてしまっていただろう。家族を養うために、塔の兵隊になって。だが、兵隊になってからというもの、ろくな仕事は与えられず、鬱屈とした思いだけが溜まっていく。
 そんな日々の中で、「わくわく」なんて感情が生まれるわけもない。
「ヤスさん?」
 ひょい、と。ヤスの視界を覆うように、エリックが顔を覗き込んでくる。薄汚れた眼鏡の下で判じづらい、長い睫毛に縁取られた黒い双眸も、はっきりと見えるほどの近距離。改めて見ると、本当に美しい造形をしている。まるで、つくりものか何かのような……。
 妙にぼうっとした心持ちで、エリックの顔を見つめていたその時。
 エリックははっと息を飲んで、振り向いた。ヤスも視線を追うが、そちらにはただ路地が続いているだけで、何が見えるわけでもない。だが、エリックははっきりと、こう言った。
「悲鳴――」
 悲鳴? ヤスの耳は、悲鳴らしき声を捉えてはいない。だが、異変は即座に、波紋のように広がってきた。逃げ惑う人々の姿、そして、聞きなれた罵声が響いてくる。
「何だあ、その目は! 誰のお陰でここに住まわせてもらってると思ってるんだ、ああ?」
 それは――外周治安維持部隊隊長の声。それに唱和するように、隊長の腰巾着連中の下卑た笑い声も聞こえてくる。彼らは、どうやらこちらに向かって来ているようだ。
 気づいた子供たちが泣き出し、大人は子供をつれて逃げ出そうとする。にわかに緊張の走る空間で、ヤスは反射的に飛び出していた。強く歯を噛み、拳を握り締めて。
 己の立場なんて、もはやどうだっていい。こんな重苦しい気分を抱えながら生きていくくらいなら、隊長を一発ぶん殴って、兵隊なんて辞めてやる。
 強い思いと共に踏み出した足は、しかし、それよりも強い力で引き止められた。肩に走った痛みに思わず振り向くと、エリックが、非力そうな見た目に反した力でヤスの肩を握っていた。
「エリック」
「これ以上の騒ぎは、僕が望みません。どうか、あれが過ぎ去るまでは隠れていてください」
 普段の彼らしからぬ、有無を言わさぬ口調に、一旦は焼け付きかけていた意識が冷えていく。それを確認してから、エリックは場に集っていた住人たちに向き直って、穏やかではあるが、場の喧騒を貫く声で言う。
「皆さんも、この場から出来る限り離れてください。時間は僕が稼ぎます」
「エリック……お前」
「別に、正義の味方ぶるつもりはありませんよ。ただ」
 とん、と。ヤスの肩を突き放すように離し、エリックはうっすらと凍れる微笑みを口元に浮かべながら、
「大切な一日を邪魔する、無粋な奴に物申したいだけです」
 そう、言い放った。
 その間にも、大人たちは子供を連れ、やってくる隊長の目が届かないであろう場所に隠れようとしていた。ヤスも、仕方なしに、物陰に隠れた。それでも、エリックに何かあれば、すぐにでも飛び出せるように。
 やがて、路地に隊長と腰巾着の姿が現れた。隊長は、塔上層の貴族らしくでっぷりと太った身体を揺らし、いやらしいきんきん声で取り巻きと笑い合っていたが……逃げ切れていない者たちを庇うように、道を塞いで立つエリックの姿を認めて眉を顰めた。
「何だ、貴様?」
「この方をどなたと心得る。貴様のような下賎な――」
 腰巾着が口々に言うのを遮って、エリックは背筋を伸ばし、いつになく強い語調で言葉を放つ。
「エリック・オルグレンと申します。そして、あなたは中央隔壁外周治安維持部隊隊長のゴードン・レンブラント氏とお見受けいたしますが、間違いありませんね?」
 ただ、明らかな不快の感情を込めながらも、エリックの言葉はあくまで丁重なものだった。故に、取り巻きどもは戸惑いと共にお互いの顔を見合わせる。果たして、目の前の男が自分たちの思う「下賎な外周住民」であるかをはかりかねたに違いない。
 しかし、隊長だけは相変わらず自慢の髭をなでつけながら、ねちっこい笑みを浮かべて言う。
「その通り、私こそがゴードン・レンブラントだ。して……オルグレンと言ったな。我らの前に立つということは、我々外周治安維持部隊に何か用があるということかな?」
「ええ。近頃の治安維持部隊の度重なる蛮行に際し、それを指揮する方がどれほど愚鈍にして無知蒙昧な方なのか、一度お目にかかってみたいと思いまして」
 あまりにもど直球な暴言に、一瞬前まで余裕の笑みを浮かべていた隊長も、笑みのまま固まった。多分、何を言われたのか、その瞬間はわからなかったのだと、思う。だから、先に金縛りから解かれたのは、腰巾着三人だった。
「貴様……っ!」
「いやあ、噂に違わぬ阿呆面ですねえ、あなただけでなく、そちらの方々も。これでは、外周のルールなど説いたところで理解できるとは思えません」
「はっ、ただ地べたを這い蹲って生きているだけの連中にルールなどあるまい?」
「それが見えていないから、見ようともしないから、愚鈍だと言っているのですよ」
 どのような言葉を投げかけられても、エリックは一歩も退こうとはしない。それどころか、一歩踏み込んで隊長に迫ろうとする。隊長を庇うように前に出る取り巻きたちを見据えて、エリックはなおも言葉を紡ぎ続ける。
「守られるべき暗黙のルールがなければ、外周は立ち行きません。塔の庇護なんざ、これっぽっちも届いちゃいないんですから。全く、統治機関が聞いて呆れます。それでも外周が外周足りえているのは、ひとえにここに住む住人たちの力と意識によるものです。あなたがた、塔の人間の力ではありません!」
 何とはなしに、エリックの怒りの矛先は、目の前の「愚鈍な」男たちではなく、全く別の方向に向けられているような気がした。そう、それは……同じ隔壁の中にありながら、内周の住民だけを手厚く庇護し、外周地域を顧みようとしない《鳥の塔》という機関そのものに。
 当然、そんな機微など、頭に血が上った兵隊たちには理解できなかったのだろう。特に血の気の多い一人が、拳を振り上げ、エリックの頬を殴り飛ばした。エリックは、たたらを踏むが倒れはせず、挑戦的に兵隊たちを睨む。
 そして……壮絶な笑みを、血の滲んだ口元に浮かべてみせるのだ。
「構いませんよ、殴ればよいでしょう。それで、あなた方の気が晴れるのであれば」
 抵抗はしませんよ、と両腕を広げるエリックに、流石の取り巻きたちも不気味なものを感じたのか、じり、と下がりかかる。だが、そこにすかさず隊長のきぃきぃ声が響き渡る。
「貴様ら、侮辱されたまま引き下がるのか! やれ、私が許す!」
 誰が許すようなものでもあるまいに、その声を聞いて、取り巻きたちが寄ってたかってエリックを地面に引き倒した。抵抗しない、という言葉通り、エリックは手も足も出さずに大人しく殴られるがままになっている。
 見ていられない。ヤスは身を浮かせ、今度こそ隊長たちの前に飛び出そうとした。
 その時、エリックが、ちらりとヤスの隠れている方に視線をやる。それが――黙って隠れていろ、という合図だ、ということだけはわかった。
 こんな状況でも、こちらの行動まで見抜いた上で、動くなというのか。唇を噛み、何とか息を殺す。かなり激しく殴られ、蹴りを入れられているようだが、エリックは悲鳴一つ上げずに頭を抱え、地面の上に横たわっている。赤と白の服が、見る見るうちに泥に塗れていくのを、ただ見ているだけしかできないヤスは、己の爪が掌に食い込む痛みを味わっていた。
 やがて……その行為が不毛であることに、やっと気づいたのだろう。取り巻きの一人が、とどめとばかりにエリックの腹に一撃蹴りを入れて、肩で息をしながら背後の隊長を窺う。隊長は、ぼろ雑巾のように地面の上に転がるエリックを認め、「もういいだろう」と満足げに頷いた。
「これに懲りたら、二度と我々の前に姿を現すな。行くぞ」
 隊長の言葉に従い、兵隊たちはちらりとエリックを見下ろした後、隊長についてその場を立ち去った。
 黒い兵隊たちの姿が完全に消えたのを確認すると、ヤスは隠れていた場所から飛び出して、転がったままのエリックに駆け寄った。
「おい、エリック、大丈夫か?」
 すると、エリックはぴょこん、と上半身を起こして、小さな咳と共に口の中に溜まった血を吐き出した。それから、ぼろぼろながらも気の抜けた笑顔を見せる。
「いやー、あはは、流石にこれは堪えますねえ」
 言いながらも、何事もなかったかのように立ち上がる。ふわっとした印象に似合わず、存外にタフだ。骨や筋に異常がないか確かめるように身体を軽く動かし、すっかり割れてフレームも曲がってしまった眼鏡を外して、苦笑を浮かべる。
「眼鏡も割れちゃいましたね」
「無くても見えるのかよ?」
「伊達なんで、度は入ってませんよ。目がちょっと弱いのは、本当なんですけどね」
 もったいないなあ、とのん気なことを言いながら、懐に割れた眼鏡を収める。何だか心配するのも馬鹿馬鹿しくなるくらい、いつも通りのエリック・オルグレンだ。しかし、先ほどまで命の危険を感じるほどの暴行を加えられていたのは、事実としてヤスの目にも焼きついている。
「なあ……エリック」
「何です?」
「何で、あんなことを言ったんだ?」
「いえ、何かこう、むかっ腹が立ったんで」
 極めて簡潔な答えだ。これ以上ないまでに。唖然とするヤスに対し、エリックは見るに耐えない痣だらけの顔を向けて、淡々と言う。
「ヤスさんも、今日は早めに詰め所に帰ったほうがいいでしょう。この辺りの方々には、僕から経緯をお話ししておきますので」
 骨には異常ないかな、と一通り全身を確かめて呟くエリックに、ヤスは思い切って声をかける。
「エリック、お前、さっき言ってたよな」
「……何をです?」
「外周が外周足りえてるのは、外周の人間の力で、塔の力じゃないって」
「言いましたね」
「それって結局、俺たちなんていらねえ、ってことだよな」
 中央隔壁外周治安維持部隊は、あくまで塔が組織する武装集団だ。先ほどのエリックの言葉は、外周におけるヤスたちの存在を、全否定するものに他ならなかった。最低でも、そうヤスには聞こえた。
 だが、エリックは小さく首を横に振って、言った。
「勘違いしないでいただきたいのですが……僕、治安維持部隊の存在は、絶対に必要だとは思っているんです」
 ならば、どうしてあんなことを言ったのか。その問いをヤスが言葉にする前に、エリックの唇は動いていた。
「外周の不文律に縛られない外部からの抑止力は、決して無駄ではありません。それが、正しく働く限りではありますが」
「正しく働く……か」
「ええ。もちろん、マニュアル通りって意味じゃないですよ。相手は人ですからね。それぞれがそれぞれの思惑を持っていて、放っておくとてんでばらばらに動くわけです。そんな人々の思いを守りながらも、何もかもがばらばらにならないように上手く取り計らうのが、治安維持部隊のお仕事なんじゃないかなあ、って僕は思ってます」
 決して簡単なことじゃありませんけどね、とエリックは苦笑する。そう、それもまたただの理想と言ってしまえばそれまでだ。だが……追求するのは、決して、間違いではないと思う。そうだ、間違いなんかでは、ないのだ。
 そう思った瞬間に、胸に詰まっていた言葉が、自然とこぼれ落ちていた。
「この前さ、同僚と……俺と同じ、外周出身の同僚たちと話してたんだよ。俺らのやってることって、何の意味があんのかなって」
 そうだ、塔に上ろうと決意した時には、もっと明るい感情を抱いていたはずだ。ただ家族を養うためなら、違う仕事に就いたってよかった。だが、わざわざ兵隊を志したのは、その先に何かを求めていたからではないか。
 未来への希望を。それこそ、エリックが無邪気に言ってみせたような、「わくわく」を。
「現実はそんな甘くねえってのは、わかるよ。だけど、これだけは絶対に違うんだ。違うってわかってるのに、どうにもできないままなんて……!」
 それ以上は、言葉にならなかった。
 拳を握り締めたまま、俯くヤスに対し。エリックは、数秒ほど沈思して……不意に、やたら明るい声を上げた。
「オーケイ、聞き届けました」
「は?」
 思わず顔を上げると、エリックは、いつになく凛とした目をして、ヤスをじっと見つめていた。
「それが、あなたの……あなた方の望みならば。僕は、全力でそれに応えてみせましょう」
「エリック?」
「それでは、しばしのお別れです」
 きっぱりと言い切り、全身を殴打された痛みなど、全く感じさせない動きで、跳躍した。音もなく塀の上に立った泥だらけの青年は、恭しい仕草で一礼する。
「次にお会いする時は、また別のかたちで」
 その言葉の意味を、ヤスが理解するよりも先に。
「めりー、くりすまーす!」
 わけのわからない奇声を上げながら、エリックは、塀の向こうへと飛び降りていった。その瞬間にわあっ、という歓声が上がったから、多分向こう側に避難していた子供たちの声だろう。
「わっかんねえなあ、あいつ……」
 歓声と歌声に紛れて――ヤスの呟きは、エリックには届かなかった、はずだ。
 
 
 その日を境に、エリックは姿を消した。
 廃品街跡地に赴いても、避難民たちの集落に向かっても。あの、陽気な変人の姿を見つけることはできなかった。誰に聞いても、今日は来ていないと首を振るばかり。
 それから年が明けて、数日が経過して。
 事件は、起きた。