うたかたの断章

半透明の殻のなか

 シスル、と呼ばれる人物がいる。
 血の気のない青ざめた肌に、毛穴一つない禿頭。きっと綺麗な色をしているだろう瞳を分厚いミラーシェードで覆い隠した、外周の請負屋。彼は、諸々の事情によって、体のほとんどを機械に挿げ替えた人間だった。
 この国では、脳味噌さえ人間のものなら、その他の部分が全てつくりものであっても、人の形をしていなくたって「人間」と定義される。仮に人と定義されなくとも、僕の目から見る限り彼はどこまでも人間だった。
 ただ、ここまで言っておいて何だが、僕は彼を「知らない」。
 だけど、君は彼をよく知っていた。
 きっと、シスルと呼ばれていた彼自身よりも。
「……今回は、ありがとうございました」
 ある日の外周、薄汚い酒場の隅っこで、君は彼と杯を酌み交わす。とはいえ、君も彼も酒は苦手だから、その手の中にあるのは水と氷の入ったグラス。
 あの日の彼は、君のささやかな願い事を叶えてくれた。もちろん、それ相応の金と引き換えに、ではあったけれど。彼はほとんど表情の浮かばない顔で、大げさに溜め息をついてみせた。
「仕事とはいえ、何で私はいちいちアンタの酔狂に付き合ってんだろうな」
「シスルさんが優しいからですよ」
「反吐が出る」
 君のことが嫌いなのだろうか、彼は明らかな不快を篭めた言葉を放って水を呷る。でも、君はいつも通りニコニコしながら、そんな彼の頭の上から、手袋を嵌めた指先の辺りまでをじっと見つめていた。
 彼の脳味噌を覆う『殻』ともいえるつくりものの体には、何一つの無駄がない。人間らしい身体活動に必要な部位を残し、その他の全てを削り取った彼の姿は一種異様であったが、僕の目から見るかぎり、極めて美しかった。
 きっと――君も、同じようなことを考えていたのだろう。
「何を見てるんだ?」
「綺麗だな、と思いまして」
「もう少し上手い口説き文句が欲しいところだな」
「手厳しいですねえ」
「それに、形だけ見ればアンタの方がよっぽど綺麗だろ」
「……そんなことはありません。壊れやすくて、歪みやすくて、無駄なものばかりです」
 淡々と言った君に対し、彼は感情の浮かばない顔を向けて、静かに言った。
「今の私は、その『無駄』こそが愛しいと思うよ」
 君は、何も言わなかった。笑顔を消した、だけで。
 きっと、僕がそこにいたとしても、何も言えなかったと思う。きっと。きっと。