「これで一件落着、ってか」
ふう、と息と共に煙を吐き出す。
薄暗い部屋の中、バイザー型ディスプレイを装着した男は最後の煙草を味わっていた。
結局のところ――と男がバイザー越しに煙を目で追い、ゆっくりと思考を回転させていく。
一連の事件を解決したのは一人の少年と、一人の少女。男はそう結論付けていた。
少年は一度は『ゲーム』と夢に囚われながらも、自ら夢を蹴ってこちらに戻ってきた。その上、『ゲーム』を終わらせることにも成功したのだ。事実だけを追ってみれば、少年一人が解決したと考えてもいい。
だが、そのきっかけを作ったのは少女の方だ。彼女がいなければきっと、この結末は望めなかった。少年は眠りに落ちたままで、誰もが目覚めないままに物語が閉じる。ある意味ではハッピーエンドだろう、夢見ている人間にとっては。
ただ、少女は眠る少年に手を伸ばしてみせた。夢見ている人間にもう一つのエンディングを示したのだ。その名前は多分、『希望』とか何とか言うのではないだろうか。決まった形のない、しかし明るいのだと思いたくなる未来。
根本的な解決には程遠い理論だが、男は「悪くない」と小さく呟いた。
この事件は初めから最後まである亡霊が用意した『ゲーム』だったのだ。『ゲーム』ならば、青臭い、綺麗事のエンディングが用意されていてもいいはずだ。男はそう思っている。
「そうは思わないか」
ディスプレイの中に映るのは、いつも見るのと同じ仮想の少女。ただし、こちらを見つめる色彩は何故か橙から薄青に変わっていた。
理由はわからないが、少女の中で何かが変わったのだろうということだけは、理解できた。
少女大きな目を細めて柔らかく微笑む。
「わからないよ」
「そうか」
「夢から覚めた幸せは、わたしにはわからない。わたしも夢だから」
そうだな、と口の中で呟いて男はディスプレイの中の少女を見据える。指に挟んだ煙草は既に半分以上が灰になっていた。
少女の存在は、確かに夢のようなものだ。情報の海に遊ぶ、仮想の少女。これを亡霊と称するのもカミサマと称するのも勝手だ、何しろこの不思議な少女が何なのかは誰にも……彼女自身にもわかっていなかったから。
闇に浮かぶ巨大な橙の月のように、目に見えるけれども現実ではない。そんな少女に月の名を与えて見守っていたのはまさしくこの男だったわけだが。
「でも、夢のことは少しだけわかったよ。わたしも、夢を見てみようと思ったの」
いつかは覚める夢を。
夢は、見えない未来へ歩いていくための道標でしかない。届いたと思えばまた新しい夢を見るだけで、人はそれを繰り返して生きていく。そういうものだ。
かつて男はその問いに答えられなかったけれど、あの少年が全てを語ってくれたから。
「なら、よかった」
男はそれだけを言って、笑む。少女も深く頷くだけでそれ以上は何も言おうとしなかった。
どのくらい、沈黙が流れただろうか。唐突に少女の唇が動く。
「それじゃ、わたし、行くね」
少女はふわりと薄青のワンピースを翻した。少女が踊る背景は、綺麗な青空。まるで空に溶け込んでしまいそうな色の少女が、本当に広がる風景のに消えていこうとしていた。
少女がこれからどこに行くのか、男は知らない。ただ。
「今までありがとう」
もう二度と会えないのだろうな、ということくらいはわかった。
男に少女を止めることはできない。少女がやって来た時と同じように、素直にその運命を受け止めるだけだ。今度は誰かに迷惑をかけるなよ、と一応釘を刺しておいてから、微かに笑みを浮かべてみせる。
別れは笑顔の方がいい。新しい夢に向かって旅立つ者を見送るならば、尚更だ。
「じゃあな」
そして、少女は目の前から姿を消した。青空の背景も暗闇に戻り、薄暗い部屋は静寂に包まれる。
男はゆっくりとバイザーを額まで押し上げて、しばし三白眼で天井近くを睨む。やがて、コンピュータの電源を落として軋む椅子から立ち上がった。
最初から最後まで関われなかった物語が、本当の意味で閉じて。ただ一人取り残された男は燃え尽きた煙草を灰皿に押し当てて窓の外を見る。窓の外には、秋の遠い空が広がっている。今日もいい天気だ、薄暗い部屋の中に篭っているにはもったいないほどに。
物語が閉じれば最後に残るものは、後始末のみ。
「さて……綺麗事を完成させるために、もうちょい頑張るか」
――その前に、自分のために働き口を見つけたらどうだ?
自分で自分に言い聞かせて……何となくおかしくなって小さく、笑った。
シトラスムーン・ドリミンガール