お前がこの手紙を読んでいるということは、俺は既に楽園を去った後なのだろう。
そして、「お前が」この手紙を読んでいるということは、俺の願いが一つを除き全て叶ったということなのだろう。
俺は楽園一の幸せ者だと思う。お前は「何言ってんだ」とすごく嫌な顔をすると思うが、本当に嫌な顔をしてはいないだろうな、ここまで俺の想像通りだったら、世界樹の向こうから笑ってやるからな。
お前は俺のことが嫌いだっただろうし、多分今も嫌いなのだと思う。それでも一つだけ、お前にどうしても叶えて欲しいことがあるから、この手紙を残そうと思う。もちろん、俺の願いを叶えるかどうかはお前次第、お前が望まなければこの手紙は焼き捨ててくれて構わない。
俺の最後の願い。
それは――
「そいつは、本当に最悪な野郎でな」
レベンタートの妖精使いは、横に浮かぶ相棒の『風』に向かって、ぶつぶつと文句をたらし続ける。その右手には封筒に入った手紙がぐしゃぐしゃになって握られていた。
「唐突に現れて俺の神経逆撫でしまくった挙句に、何もかもを全部押し付けて消えちまった。消えた挙句にここに来て最後の願いなんて言ってやがる、マジふざけんじゃねえ。ありえねえっつの」
「……でも、律儀に叶えてやろうとする辺りがホントお人よしよね、アンタって」
『風』は小さく溜息をつきながら、妖精使いの頭の上の枝を払ってやる。妖精使いは「悪いな」と『風』に目配せして、目の前に立ちはだかっていた茂みを左手に握っていた短剣で切り払う。
二人は緑深い森の中にいた。何故こんな場所にいるのかといえば、妖精使いの手に握られた手紙に、この場所が指定されていたからだ。
書き手本人も理解しているようだったが、妖精使いは本当にこの手紙の書き手が「嫌い」だった。それ以外に何と表現のしようもない。ネガティブな感情を全てずだ袋に詰め込んで、その袋で殴り倒したいくらいには嫌いだった。
ただ……好意の反対語が無関心であるように。嫌悪を覚えながら決して妖精使いはこの男に「無関心」にはなれなかった。
「お人よし、ってよりも、どうしても気になっちまうんだ」
「何が?」
「奴が、何を残したのか。俺は奴が大嫌いだが、奴は決して無意味なことはしない。最低でも、俺をからかうためだけにこんな手紙を書いたりはしない奴だ」
それだけは、はっきりと言える。
妖精使いの言葉に、『風』は「へえ」と呆れたように息をついた。
「それだけ聞くと、仲いいように聞こえるんだけど」
「奴は俺を嫌っちゃいなかったと思うぞ、俺が一方的に嫌ってただけだ……っと、ここかな」
妖精使いは森の中でも一際太い幹を持つ大樹の前に立った。周囲には無数の樹木の精が妖精使いの顔を窺おうとしていたが、妖精使いの視線を投げかけられてすかさず木々の間に姿を隠した。樹木の精は大体が恥ずかしがりやなのである。
「 『風』、何かねえか?」
ただの人間である妖精使いには、この大樹の上まで見通すことは出来ない。だが、空気の妖精たる『風』は軽々と大樹の幹に沿って飛び上がり、辺りを見渡す。やがて、「あれかな」と呟きながら妖精使いの前に下りてきた。
「そんなに高くない枝のところに、何か引っかかってる。瓶みたいな」
「それだ。落とせるか?」
「やってみる」
そおれっ、と声を上げて『風』が腕を振り上げる。実体のない『風』が物体に触れることはできないが、空気を操ることでそれを動かすことは出来る。巻き起こる突風に妖精使いが目を庇う。直後、小さな音と共に妖精使いの足元に何かが落ちてきた。
目を開けてみれば、それは確かに瓶だった。コルクで封をされた瓶の中には、巻いた紙が入っているように見えた。
妖精使いは恐る恐るそれを手にとって開けてみようと試みる。魔法の封はされていなかったようで、あっけなくコルクは瓶から引き抜かれ、紙が妖精使いの手の上に滑り落ちる。
「何? 何か書いてある?」
興味津々といった様子で『風』が妖精使いの手元を覗き込む。妖精使いはそっと、紙を切ったり折ったりしないように気をつけて、ゆっくりと紙を開いていく。
そこに描かれていたものは――
「これ……船?」
そう、船だ。
だが、海を行く船ではない。海は海でも、風の海を行く船……飛空艇。トンボのような長い翼を持つ、美しいフォルムの船が紙一杯に描かれていた。否、ただ船の絵が描かれているだけではない。どのように翼や胴体部を作るのか、翼の角度は何度か、プロペラをどう設置するのか、動力は何をどのように用いるのか、その全てが手紙と同じ筆致で事細かに書かれている。
つまりは、飛空艇の設計図だった。
「すっごい、ここまで綺麗で完璧な設計図、初めて見たかも」
飛空艇に詳しい『風』が思わず嘆息するくらいだから、素人の妖精使いが「凄い」と思ったのもあながち的外れではなかったのだろう。手の中の設計図は精緻を極めていた。今にもこの紙から浮かび上がって飛び立ってしまいそうなほどに。
「だが……こんなもん、俺にどうしろって」
戸惑いを言葉にしかけて、気づく。
瓶の中には、もう一つ二つ折りになった小さな紙が入っていた。開いてみれば、それは妖精使いに宛てた手紙の続きであった。『風』が横から覗き込む気配を感じながら、妖精使いは海色の目で印刷と見紛う筆跡を追う。
これが、最後の願いだ。
この船を、お前の手でアイツに届けて欲しい。
どうせお前は下らない理由でアイツと顔を合わせられていないだろう。これを機会に、アイツのところに顔を出してやれ。アイツも、それにお前も本当はそれを望んでるはずだしな。最後のお節介とでも思ってくれ。
妖精使いはたまらずぐしゃりと手紙を握りつぶし、虚空に向かって叫んだ。
「――っ、俺は、手前のそういうところが嫌いなんだよ!」
虚空から、けらけらと笑う陽気な声が聞こえた気がしたけれど。妖精使いはその幻聴を振り払って、再び封をした瓶を強く握りしめる。
「行くぞ、『風』!」
「でも、やっぱり届けるんだ……」
「うるせえ! これで本当に最後だからな、次はねえからな!」
答えなど帰ってくるはずも無いというのに、妖精使いは空に向かって叫ぶ。
けれど、本当は次がないことくらい、妖精使いだってわかっている。この手紙の書き手が嘘をつかないことは嫌というほど知っている。あの男が「最後」と言ったら、絶対に最後なのだ。
絶対に、最後なのだ。
「どうしたの、急に黙っちゃって」
「何でもねえ。何でも、ねえよ」
妖精使いは、何ともいえない表情になって空を見上げる。空にこの手紙の書き手が浮かんでいるはずもなかったが、自然と空を見上げてしまう。頭の中に、手紙の最後に書かれていた短い言葉を思い返しながら。
それじゃ、これで本当にさよならだ。
――どうか君よ、幸せに。
「永遠にさよならだ、この幸せ者」
レベンタートの妖精使い