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シアワセモノマニア
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シアワセモノマニア

ハッピーをお届けする空想娯楽物語屋

No.55, No.54, No.53, No.52, No.51, No.50, No.497件]


●appendix / about Trevor Traverse

 トレヴァー・トラヴァースについて、私は詳しく説明することができそうにない。
 表面上のことならば、いくつか。例えば、彼が隠密攻撃翅翼艇『ロビン・グッドフェロー』の乗り手である、とか。我々第二世代の中でも、否、霧航士全体から見ても稀有ともいえる精密飛行と精密射撃の両者を実現する言葉通りの優等生である、とか。船に乗っているときと降りているときとで、まるで別人のようである、とか。
 そう、翅翼艇を操る際の彼は、ゲイル曰く「えげつない」「ろくでもない」「いやらしい」、言ってしまえば聞くに堪えない言葉を並べ立てて、己の限界を目指し、己と並び立つ『相手』を求めて情熱的に振舞う。特にゲイルの飛ぶ姿に対する愛情は偏執的で、それ故に『エアリエル』の僚機として常にゲイルの側にあろうとする。ただ、それでいて私やオズの指示を聞き漏らすことも、理由なく逆らうこともない。そういう点において、彼は極めて真面目というか、有り体に言ってしまえば「理想的な兵隊」と言ってよいと思っている。
 一方、陸の上では神出鬼没かつ気ままな、猫のような生態をしている。ついでに、ゲイル個人のことは毛嫌いしている。これはトレヴァー自身の言葉だが、彼が一番嫌いなものは「何でもできると根拠もなく信じていて、実際にできてしまうタイプ」らしい。要はゲイルのことであり、つまるところトレヴァーの本質は努力家なのだろう。その努力は見せないけれど。否、それだけじゃない。彼は何も見せないのだ。本音も、感情も、背景も。
 霧航士としては、兵隊としては、有能さを示せば十分だろうとトレヴァーは笑ってみせるし、霧航士の誰もが彼を「そういうものだ」と認めている。
 それでも、私は、彼に対して興味を抱くことを止められずにいる。その温度を欠いた皮膚の奥に隠したものの正体を、知りたいと希うのだ。
 
(語り手 ユージーン・ネヴィル)
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#談話室の飛ばない探偵たち

文章


●appendix / about Oswald Forsyth

 嫌な奴ですよ。存在が嫌味にもほどがある。何しろ、あいつは本来なら「霧航士には成り得ない」。翅翼艇を操れない奴に正規霧航士の肩書きを与える余裕なんて、霧航士隊にはないんです。オレが、他の連中が蒸発するまで長らく補欠扱いであったように。
 それでもオズワルド・フォーサイスは例外中の例外、前代未聞の「特別枠」の霧航士なんですよ。絶対記憶能力に分割並列思考、高速演算能力。それに生まれながらの特殊能力、一定の入力から限定的な未来予測すらも可能とする『虚空書庫』。完全に人間を辞めてるとしか思えない天性の才が、オズを航法士兼銃手専門の霧航士たらしめてるわけです。いやあ、マジで天才って羨ましいですよね。
 あ、こうは言いましたけど、別にああはなりたくねーですよ。翅翼艇に乗るたびに、蒸発とは別に脳死の危険性があるとか、正直やってられませんよ。怖すぎるでしょ。
 それと、あいつ、あんなに頭の回転速いのに、めちゃくちゃ鈍くさいんですよね。なまじ頭の回転が速すぎるだけに、体が全く反応できてない、みたいな……。いや、もしかすると、体だけじゃなくて人格もついてきてないんじゃねーですかね。ほんと、何であんなに不器用なんでしょうね。朴訥で、生真面目で、悲観的。でも、めちゃくちゃ素直で、いつだって、誰かのいいところを褒めて回ってるんですよ。それは俺にはないもので、素晴らしいものだ、って。
 つまり、嫌な奴だけど……、いい奴、ですよ。嫌な奴、っていうのはあくまでオレの僻み、個人的な感想ってやつなんで、あんま気にしないでください。
 まあ、仲良くしてやってくださいよ。あいつ、ほっとくと延々と一人で絵描いて遊んでる引きこもりなんで。遊び相手があのゲイルだけじゃ、かーなーりー、不安なんで。
 
(語り手 アーサー・パーシング)
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#談話室の飛ばない探偵たち

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●appendix / about Gale Windward

 ゲイル・ウインドワード! 素晴らしいよ、彼は! どれだけボクが腕を磨いても、不要な部分を削り落としていったとしても、きっと全力の彼には敵わない。彼は、紛れもなく、飛ぶために生まれた生物だ。偶然、人の姿を取って生まれてしまっただけで、ね。
 君は知らない? 彼の飛ぶ姿を間近で見たことがない? それは人生を十割損していると言ってもいいよ! つまり生きてる価値がないね! そのくらい、彼の飛ぶ姿は――美しいんだ。ああ、どんな言葉も彼を形容するには足りない。単なる美辞麗句じゃあ意味がない。彼が『エアリエル』の翼を広げた瞬間、ボクの目に見えていた世界がどれだけ狭いものか、気づかされたんだ。ああ、この魄霧の海はあまりにも広く、それでいて彼はその全てをもってしても満足しないだろう。いつか、ボクらの遥か頭上を覆う天蓋にも辿り着いて、そこすらも突き抜けてしまうかのごとき飛翔。翅翼艇の機能をもってしても逆らいきれないありとあらゆる物理法則も、彼にとっては何の障害にもならない。吹き荒れる嵐ですら、ゲイルにとっては祝福と歓喜の歌声でしかないんだ。本当にそういう風に「聞こえる」んだよ、それが彼の能力の一つだからね。
 もちろん、彼が自由に飛べるのは相棒の存在があるからだ。オズと共に在ってこそ、ゲイルは全力で飛べる。誰よりも速く、誰よりも高く、霧の海を駆けてゆくことができるんだ。何の憂いもなく、何の迷いもなく、ただ歓喜の声をあげながら――。
 えっ、そういうことが聞きたいんじゃない?
 ……ゲイルの、人となりの評価?
 ボク、前から思ってたんだけど。あれの頭の中、脳味噌の代わりに東方の豆腐とかいう白くてぷるぷるしたやつが入ってるって、絶対。
 
(語り手 トレヴァー・トラヴァース)
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#談話室の飛ばない探偵たち

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●番外編:チョコレート・パラノイアその後

「南雲くん、嬉しそうですね……」
「そう見えます?」
 来客用ソファに寝そべって長い脚をぶらつかせる南雲彰は、普段通りの死人のような顔色に仏頂面、という「嬉しそう」という言葉とは完全に無縁な顔をしていた。
 しかし、五年間南雲を観察し続けてきた神秘対策係係長・綿貫栄太郎は「ええ、とても」と深々と頷いてみせる。
 人一倍豊かな感情を抱えながら「表現する」という能力を欠いて久しい南雲は、それでも意外なほどにわかりやすい男である。表情ではなく全身で感情を表現する犬や猫のようなものだと思えばわかりやすい。
 というわけで、南雲は今、かわいらしい小さな箱を、天井に向けて伸ばした手に握り、綿貫にしか見えない架空の尻尾をぶんぶんと振っていた。相方の八束ほどではないが、南雲も比較的犬っぽいところがある。ごろりと転がったきりなかなか動かないところは、犬というよりアザラシのようにも見えるが。
 スキンヘッドに黒スーツという恐ろしげな見かけに反し、かわいいところもある――というか実際は女子高生みたいな感性の持ち主だ――部下に、綿貫はほほえましさを覚えずにはいられない。
「それ、八束くんにもらったんですか」
「そうですよー。あの八束ですよ? バレンタインって言葉もろくに知らなかった、あの八束ですよ?」
 仏頂面ながら、南雲の声は弾んでいた。どうやら本当に嬉しいらしい。とはいえ、そこに含まれる喜びは「女の子からチョコレートをもらった」という喜びではなく、「バレンタインのバの字も知らなかった同僚がついに人並みに行事に参加するようになった」ことへの喜びであることは、あえて南雲に確認せずとも明らかだった。
 ちなみに南雲はこれで女性から貰うチョコの数には困っていない。ただし、その全てはいわゆる「友チョコ」というやつらしい。何しろ昼休みに女性職員のガールズトークにしれっと混ざっているような男だ、要するに男だと思われていないのだろう。
「僕も八束くんから貰いましたけど、南雲くんのとは別のチョコみたいですね」
 綿貫は南雲にも見えるように、箱をかざしてやる。中に入っているのは、トリュフチョコレートが三つ。本当は四つだったのだが、一つは既に綿貫の腹の中に収まっている。「甘いものは本腹、そして本腹が満たされたら別腹、別腹が満たされる頃には本腹が空いてる」という謎の永久機関を提唱する超甘党の南雲ほどではないが、綿貫も甘いものは好きなのだ。
 南雲は物欲しげに綿貫のチョコレートを睨んだが、流石に人のものを奪わない程度の節度はあるらしく、上体を起こして自分の箱に視線を戻す。
「じゃ、こっちの中身は何なんでしょね」
 本人に確かめようにも、八束は今日の事件の後始末を終え、既に帰宅している。仕事もないのにだらだら残っている南雲の方がおかしいのは、気にしてはいけないお約束である。
「気になりますね。見せてもらえますか?」
「いいですよぅー」
 南雲は箱にかかっていたリボンをはずして、鼻歌交じりに箱を開く。
 そして、速攻で閉じた。
「どうしたんですか?」
「……なんか、いたたまれなくなった」
 南雲は、ぼそりと呟いた。そして、ソファから身を乗り出して、そっと綿貫にチョコレートの箱を差し出す。
 綿貫は南雲から箱を受け取ると、恐る恐る蓋を開ける。
 すると、六対の目が綿貫を見上げてくる。
 そう、それはチョコレートだった。確かにチョコレートだった。
 ただし、綺麗な球面を描くチョコレートは全て、デフォルメされた動物の顔をしていた。ワンちゃん、ウサギさん、リスさん、パンダさん、ブタさん、そしてアザラシさん……。かわいいチョコレートの動物たちが六匹、蓋を開けた者をじっと見つめているのである。そりゃあもう、きらきらと光るつぶらな瞳で。
「いたたたたまれないでしょ」
「確かに……。やたらかわいいですが」
「かわいい。めっちゃ好み。俺の趣味を反映させられるまで八束の気遣いレベルが上がってたのにもびっくりだけど、でもさあ」
 ――これ、食べるのめっちゃ躊躇われますよね?
 南雲の問いに、綿貫は重々しく頷くことしかできなかった。
 
 
 翌日、八束に「食べてくれないんですか?」と潤んだ子犬の目で見つめられ、「ごめんな……」と呟きながらチョコをもぐもぐしていた南雲がいたとかなんとか。
 ――後に聞いたところによると、とても美味しかったそうだ。
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#時計うさぎの不在証明

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●番外編:煮込みハンバーグを作るだけ

 キッチンに立つ南雲彰の横に、ジャージ姿の八束結がちょこちょこと寄っていく。今まさに人を殺してきたような凶相に剃り跡一つ見えないスキンヘッド、という極めてその筋の人らしい南雲であるが、今日に限っては猫のアップリケと足跡の模様がかわいらしい、フリルつきのエプロンを身に着けていた。
 そんな、どこからどうツッコミを入れるべきか悩ましい姿の南雲は、相変わらずの仏頂面で食器を拭き、棚に戻しているところだった。仕事しないことに定評のある南雲だが、こと「仕事以外」に関しては嫌な顔一つせずてきぱきこなすのがこの男の奇妙な特徴の一つである。常に「嫌な顔」をしているように見えることに関しては、八束もノーコメントを貫くことにしている。この男の顔と内面が一致していたことは、今まで一度も無いのだから。
「南雲さん、これから何を作るんですか?」
「んー、何作ろうか考えてたとこ。何が食べたい?」
 最後の皿を棚にしまいながら、南雲がのんびりとした声で問いを投げ返す。八束はこくんと首を傾げて、数秒ほど答えを考えた後に、背筋を伸ばして答える。
「今のところ希望はありません」
「そう言われるのが一番困るんだけどな。あと、八束」
「はい」
「何で俺ん家にいるの」
 ――当然の問いであった。
 流石に、八束もその質問は予測していたため、正直に答える。
「今日は、真さんのお部屋でお泊り会なのです」
 ちなみに、真は南雲の妹である。八束と同い年である彼女は、ある日偶然八束と知り合い、色々あった結果、八束と真は休みの日に買い物に行ったり、時にはお互いの家に招き招かれる程度の関係になった。八束にとっての、数少ない友人というやつである。
 というわけで、今日は八束が真の家――つまり南雲の家に招かれ、当たり前のようにそこにいるのであった。
「そう、ならごゆっくり。とりあえず、今日の夕飯は煮込みハンバーグにしようか」
 そして、南雲も、別段八束がそこにいようがいまいが、やることは特に変わらないのである。
「煮込みハンバーグですか。煮込み料理ということは、時間がかかるものでしょうか」
「真面目にやればそりゃかかるけど、手抜けばそこまでかからないよ。作り方見とく?」
「はい。後学のために」
「後学って言葉がまた硬いなー」
 言いながら、南雲はまな板を置き、冷蔵庫の中から玉ねぎとにんじんを取り出し、それぞれ皮を剥いてざくざくと切る。
「切り方は」
「適当。っていうかお好み」
 そして、まずは玉ねぎを耐熱容器に入れ、ラップをかけてレンジに放り込む。
「温めるです?」
「温めるのです。こいつら真面目に火を通そうとすると時間かかるから」
「にんじんは入れないのですか?」
「途中で入れる。個人的ににんじんは形残ってる方が好きだから、型崩れしない程度に温めたいんだよ」
 その間にとボウルを取り出し、用意されるのはパン粉とひき肉二パックと卵一つ、それから、袋に入った――。
「お麩」
「こいつをパン粉とか卵と同じように、つなぎとして使う」
 そうすることで、普通に作るよりも柔らかく、また全体に対する肉の割合が減るためヘルシーに仕上がるのだという。お麩自体にはっきりとした味がついているわけではないので、肉の味を邪魔することもない。
「ハンバーグには玉ねぎを入れると聞いていましたが」
「それはお好み。入れなくてもお麩入れとくと比較的柔らかく仕上がるから、今日は入れないやり方でやる。というわけで、それ適当にもにもにしといて」
 ジッパーつきの袋にお麩を放り込んだ南雲は、内側の空気を抜いてからしっかりジッパーを閉め、八束にそれを押し付ける。八束は、それを掌でぐいぐい押しながら、南雲に問う。
「これらの分量は」
「適当」
「南雲さん、さっきから『適当』ばかりですね」
「正直、きちんと計測とかしたことないから、説明のしようがないんだよな。それに、八束なら見れば覚えられるでしょ」
 フライパンをコンロの上に用意し、次いで取り出した大きめの鍋の半分くらいまで水を入れながら南雲は言う。この水の量も聞くまでもなく「適当」なのだろう。
 常日頃から料理を日課としている南雲にとっては、適切な分量というのはわざわざ計測するまでもなく、感覚として身についているものらしい。というわけで、手順さえしっかり見ておけば、南雲の言葉は聞いても聞かなくても問題ないことがよくわかった。
「で、その間にソースの用意を始めとく。こっちの鍋の水を、とりあえず沸騰させる」
 言いながら水の入った鍋を火にかけ、ついでとばかりにレンジに向かい、いい具合に温まっていた玉ねぎの器ににんじんを投入し、再びラップをかけ直してレンジに戻した。その間に、八束の手の中にあったお麩は、元の形を失いつつあった。
「大体形が崩れました」
「じゃあ水を加えて更にもにもにしよう」
「水、この袋に直接入れちゃうんですか」
「入れちゃっていいよ」
 そんなわけで、袋の中に水を加えてさらにお麩を揉む。すると、もはや何だかよくわからないもにもにした塊が出来上がった。それを確認した南雲は、袋から出したお麩の塊をボウルに移し、先ほど用意したハンバーグの具材もボウルに投入。軽く塩胡椒してから一緒に混ぜ始める。
「ここで、少し固かったら水を加える。多少にちゃにちゃするくらいでいい」
 そうして出来上がったハンバーグの種を、手の中で空気を抜きながら丸く形を整え、フライパンの上に並べる。
「今回は煮込みハンバーグだし、形は多少イビツでもいいと思ってる」
 そんなわけで、半分ほどの種がハンバーグとなりフライパンの上に揃った。南雲がそのまま火をつけるのを見て、八束はこくんと首を傾げる。
「サラダ油は入れないんですか? 焦げ付きませんか?」
「肉から油出るし、きちんと様子見てれば平気」
 フライパンの蓋を閉め、流れるような動きで沸騰していたお湯の方に移る。
「こちらがソースです」
「お湯ですが」
「これからソースになるよ。って言ってもベースはどこにでも売っているこちら」
 棚から取り出したのが、市販のビーフシチューのルーだ。八束も、スーパーでよく見かける箱である。ただ、ちらっと見えた棚の中には、何故か各メーカーの、それこそ八束が見たことも無いメーカーのルーまで揃っていたので、多分、食べ比べたりしたことがあるのだろうなあ、と内心思わずにはいられない。南雲の料理は日課ではあるものの、半分くらいは彼にとっての道楽であることも、八束はよく知っていたから。
「これを溶かせば、確かに煮込みハンバーグのソースらしくはなりますね」
「でも、これだけだと完全に市販のお味になるんで、ルーを投入する前後に手を加える」
 言って、別の棚から次々と調味料を取り出す南雲。このキッチンには、一体どれだけの材料が隠されているのか、八束は不思議で仕方ない。何しろ、八束の部屋にはカロリーメイトとサプリメントとミネラルウォーターしか常備されていないのだから。
「固形コンソメを、この量ならとりあえず二個かな……」
 本当に適当らしいことを呟きながら、南雲はぽいぽいとコンソメを投げ込み、お湯に溶かす。
「で、冷蔵庫にセロリがあったのでこれも入れる」
「何を入れてもいいんですか」
「相性さえ合えば別に何でもいいと思うよ」
 手際よくセロリの茎の部分を切って、鍋の中に放り込む。そして、次に取り出したのはにんにく一欠け。これをさくさくとみじん切りにして、即座に鍋に投入。
「にんにくですか?」
「うん。これは本当にちょっとでいいんだけど、入れると風味が結構変わるんだ」
 そして、電子レンジに放置されていたにんじんと玉ねぎを投入。ある程度煮立ったところで一旦火を弱火にして、ルー一箱分を投入して、ついでにとばかりにローレルも三枚ほど入れる。
「これだけですか」
「基本はこれだけ。ルーがちゃんと溶けたかどうかは確認しないとだけど、野菜は火が通ってるから、そこまで気を遣って煮込む必要は無い」
 喋りながらも南雲の動きは止まらない。フライパンの蓋を開け、ハンバーグの片面がいい感じに焼けたのを確認して、ひっくり返す。フライパンの内側には、種を熱したことによって蒸発した水分と、肉から出た油が付着している。
「確かに、油はあえて入れなくても大丈夫なんですね」
「ついでに、焼き色ついてなくても、火さえきちんと通ってれば大丈夫」
 もう片面にも焼き色がつき、火が通ったことを示す透明な肉汁がふつふつ出ているのを確認し、ハンバーグを鍋にぽいぽいと放り込む。そして、第二弾のハンバーグを仕掛けて再び蓋を閉める。
「これで、次のハンバーグが焼けたら大体おしまい。あとはちょっととろみが出るまで煮込んで、一旦火止めて、食べるときに温めればいい」
「確かに、手順自体はそこまで難しくないんですね」
「そ。あと、今回はケチャップ入れておこうか」
「ケチャップ……、ですか?」
「ん、入れすぎるとただのケチャップ味になっちゃうけど、ある程度入れる分には、いい感じの酸味と甘みが加わっておすすめ」
 冷蔵庫から取り出したケチャップを、やはり特に分量も確認せず無造作に投入する。それでも南雲の手つきに迷いはないので、感覚的に理解している領域なのだろう。そのままではケチャップがそのまま沈んでいるだけなので、ハンバーグが崩れないよう、慎重に鍋をかき混ぜる。
 ある程度ケチャップとソースが混ざり合ったところで、南雲がお玉にすくったソースを小皿に移して、八束に示す。
「味見してみる?」
「はい」
 八束は素直に頷いて、小皿のソースを舐める。しばし舌の上でその風味を確かめ、飲み下して南雲を見上げる。
「美味しいのですが、とてもケチャップ感があります。ビーフシチューとケチャップが、それぞれ存在を主張しています」
「まだそうだろうね。でも、しばらく煮込んでおくと馴染むよ」
 南雲は下手くそな鼻歌を歌いながら、焼けた第二弾のハンバーグもぽいぽいと鍋の中に入れ、更に煮込み続ける。火が通ってきたからか、先ほどよりも随分とろみが増して、ソースらしくなってきた気がする。
 そのまましばらく弱火でとろとろ煮込んだところで、南雲はもう一度小皿にソースを取って、八束に渡す。八束は先ほどのケチャップ味を思い出しながら、ぺろりとソースを舐め取って、はっとする。
 先ほどまであれだけ存在を主張していたケチャップがいつの間にか姿を消し、微かなトマトの香りと、後味としての爽やかな酸味だけが残っていたのだ。
「さっきと全然味が違いますね!」
「でしょ。これが『味が馴染む』ってこと。完成品だけ食べてると、案外こういうのってわかりづらいけど」
「興味深いです。ここまで大きく変わるとは思いませんでした」
 南雲はその言葉に満足げに頷いて、八束の頭をぽんぽんと叩く。
「八束は味覚しっかりしてるから、基本さえ覚えれば応用も出来るでしょ。どれを入れればどう味が変わる、ってのがわかれば料理ってそう難しいもんじゃないし、この『変化』が何より面白い」
「南雲さんは、料理を純粋に楽しまれているんですね」
「そうだね。面白くなきゃやらないもん」
 なるほど。ことこと煮込まれてゆくハンバーグを見ながら、八束は内心で深く頷く。
 南雲にとって、料理を含めた諸々の行動は「面白い」という一点で全て説明できるものなのだ。自分で「面白い」と思うことさえできれば、それが何であっても熱心に取り組むことができるというのは、この男の最大の美点であるといえよう。
 ――とはいえ。
 八束は、こちらをぐりぐり撫でてくる南雲を真っ向から見上げて言う。
「その『面白さ』を、仕事にも見出してくださると嬉しいのですが」
「無理」
「ですよね」
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#時計うさぎの不在証明

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●番外編:やつぐもグルメ

▼熱に弱い

 酷く暑い朝。対策室の扉を開いた八束は、硬直した。
「おはよー、八束」
 ソファの上に巨大スライムが鎮座し、しかも相棒の南雲の声で喋ったから。
「どうしたんですか!」
「暑くて溶けた」
「治るんですかそれ」
「うん。冷凍庫のアイス取って」
 慌てて青いアイスを取り出し、スライムに渡す。
「あと、どうすればいいですか?」
 もしゃり。見えない口で確かにアイスを咀嚼したスライムは、重々しく言った。
「かき氷食べたい」
「それで、元に戻るんですか?」
「溶けたら冷やして固めるものだよ。あ、スイカバーも食べたいなー」
 
 
「……という夢を見ました」
「夢でもぶれないねえ、俺」
 南雲は、八束が夢の中でも見た、ソーダ味のアイスをもぐもぐしていた。
 
 
 
 
▼南雲臨時講師

 南雲せんせい、と声をかけてきたのは、八束も何度か世話になっている、職員の女性だった。
 八束の横で眠そうにしていた南雲が、重たげに頭を上げる。
「あー、高橋ちゃん」
「教室再開してくださいよ、みんな待ってるんですよ!」
「最近サボっちゃってたもんな。そろそろまたやる、って皆に伝えといて」
 高橋は、俄然顔を輝かせて頷き、小走りに駆けていく。
 その背中が見えなくなるまで見送った後、とりあえず、最大の疑問を南雲に投げかける。
「教室、って何ですか?」
 
「一人暮らしの味方、安くて早くておいしい手作り弁当教室。毎週水曜昼休み開講、受講料はお菓子一つ」
 
「……南雲さん、刑事より絶対そっちの方が向いてる気がします」
「知ってた」
 
 
 
 
▼やつづかのお願い

「南雲さん、お願いがあります」
「仕事以外のお願いなら」
「仕事してください」
 いつも通りのやり取りの後、八束は持っていたチラシを渡してきた。南雲は、分厚い眼鏡の位置を直し、普段から細い目をさらに細める。
「うちの近くのスーパーか。これがどうしたの?」
「こちらを見てください」
 八束は、チラシの隅の一点を指す。
 
 カロリーメイト、五個セット安売り。
 おひとり様一セット限定。
 
「……つまり、お前の買い出しに付き合えと」
「はいっ!」
 八束の主食はカロリーメイトであり、副食はサプリメントである。
 南雲は、そんな食生活の何が楽しいのだろうと思いながらも、期待に満ちた目で見つめる八束の頭を撫でた。
「しょうがないなー、八束は」
 
 
 
 
▼君とシュークリーム

 ソファに腰掛けた八束は、シュークリームを手に取る。
 
 南雲行きつけの洋菓子屋『時計うさぎ』のシュークリームは、表面さくさく内側しっとりのシュー皮に、微かに洋酒が香るカスタードクリームがたっぷり詰まった、特別な味わいだ。
 大きめのそれに、口を広げて食らいつく。
 クリームが漏れないように気をつけていても、なかなか上手く食べられない。
 隣の南雲は慣れたもので、ぺろりと一つ平らげたかと思うと、二つ目に手を伸ばしていた。
 そして。
「クリーム、ついてるよ」
 人差し指で、八束の唇の端をなぞる。
 冷たい感触に一瞬瞑った目を開けると、南雲が、指先のクリームをぺろりと舐め取ったところだった。
「おいしいね」
「はい、おいしいです」
 
 
 
 
▼豊かな人生の第一歩

「今日から、八束食生活改善プログラムを開始しようと思う」
「本当に、いただいていいんですか、南雲さん」
「毎朝家族の分も作ってるからな。一つ増えたところで変わらないよ」
 言いながら、正面の席に座った南雲は「どうぞ」と八束に弁当箱を差し出す。蓋に描かれたピンクのクマさんは、南雲の趣味以外の何物でもないだろう。
 かねてから八束の「必要な栄養を取る」だけの食生活に対し「食事は単なる栄養摂取手段ではなく、人生を豊かにするものだ!」と柄にもなくエクスクラメーションマークつきで力説していた南雲が、ついに八束の食生活改善に乗り出したのだ。
 その第一歩が、昼食の提供である。
 恐る恐る、弁当箱の蓋を開けてみると、目に飛び込んできたのは、色とりどりのおかずに、かわいらしく飾られたおにぎり。しかも、目を楽しませるだけでなく、八束がざっと脳内ではじき出した計算が正しければ、栄養のバランスもよく考えられている。八束を納得させるポイントをきっちり抑えてくる辺りは流石である。
 ほう、と。息を漏らし、自分の弁当の蓋を開ける南雲に視線を戻す。
「南雲さんって、本当に器用ですよね」
「そんなことないよ。八束みたいに、何でもかんでも見よう見まねでできちゃうわけじゃない」
「それでも、好きなことや大切なことを形にして共有できるというのは、わたしにはない、南雲さんの才能だと思います」
 南雲は、一瞬眼鏡の下で目を見張って、それからふいと視線を逸らした。
 もしかして、また変なことを言ってしまっただろうか。ひやひやしていると、そっぽを向いたままの南雲が、ぽつりと言った。
「ありがと」
 ……どうやら、怒らせたわけでは、なかったらしい。
 内心ほっとしながら、手を合わせる。南雲も八束にならうようにして、両の掌を合わせて。
 
『いただきます』
 
 
 
 
▼もう一度、彼に

「シュークリームを六つください」
 
 声をかけてきたのは、洋菓子屋には似合わない、スキンヘッドにスーツ姿の無愛想な男。
 しかし、店主にとっては見慣れた顔だ。
「最近、よく来てくださいますね」
 ん、と。仏頂面のまま、男が頷く。
「ここのお菓子を、気に入ってくれた子がいて」
「ありがとうございます」
 喜ばしいことだ。店主にとっても、男にとっても。
 店主は知っている。かつて、この男がある女性と笑い合っていたことも、その女性が消えて、男が心を殺したことも。
 だから。
「一つおまけしますよ」
「いいの?」
「ええ。ごちそうしてあげてください」
 まだ見ぬ誰かが、男のかつての笑顔を取り戻してくれることを祈り、シュークリームを詰めてゆく。 
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#時計うさぎの不在証明

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●番外編:ふぁふろつきーず

「趣味とは、生命維持には必要のないものかもしれない。しかし、人間社会の中で生きる以上、『生きがい』というものがなければ、ただ息をしているのと何も変わらない。つまり、人間が人間らしく生きるに不可欠な要素であって」
 八束結は淡々とキーボードで何度目になるかもわからない文字列を入力しながら、ちらりと視線だけをディスプレイの向こう側に向ける。八束の、必要最低限のものしか置かれていない、殺風景な机とは対照的に、正面の机の上は極めてカラフルであった。テディベアをはじめとした、手作りのぬいぐるみによって。
「もちろん、人によって趣味はそれぞれなわけだが、俺は手芸を推す。無心に手を動かしていれば、やがて意味のある形が見えてくる――。ばらばらであった要素から、一つのものを作り出すという喜びがそこにある」
 そして、そのぬいぐるみに囲まれているのは、剃り跡すら見えないスキンヘッドに、細い体を隙なく覆う黒スーツ、という堅気からかけ離れた身なりの男であった。その眉間には深く皺が刻まれ、黒縁眼鏡の下の目は不気味な隈に縁取られており、どう贔屓目に見ても今まさに人を殺してきたような顔をしている。
 が、その鋭く抉るような視線は、あくまで、手元の編み棒に向けられているわけで。
「編み物も当然そのうちの一つだ。毛糸という一本の頼りなくすら見える線が、面となり立体となるこの瞬間、俺は言いようのない感動を覚える。今、ここに生きていると感じるのだ。わかるか? 八束」
 そう言って、男――待盾警察署刑事課神秘対策係主任、南雲彰は仏頂面をこちらに向けてきた。この男、表情筋が死んでいるのか何なのか、常に不機嫌そうな顔をしているが、本当に不機嫌であることはほぼ皆無と言っていい。
 もしかすると、今のも、本人の中ではとびっきりの決め顔だったのかもしれない。
 とはいえ、今は仕事中である。かたかたとキーボードを鳴らしながら、あくまで視線はディスプレイに。要するに、八束は無視を決め込んだ。
 場に、重苦しい沈黙が流れた。
 しかし、南雲が机に突っ伏して「あー」と力なく呻いたことで、その沈黙はあっけなく破られた。
「構ってよやつづかー。南雲さんは寂しいと死んじゃうんだぞー」
「最近、南雲さんの言葉の九割は意味がないことを学びましたから」
「八束も、随分俺の扱いに慣れたねえ」
 八束が放った呆れ交じりの言葉にも、南雲は全く動じなかった。つれない態度も予測済みだった、ということだろう。
 待盾警察署の片隅に位置する神秘対策室には、今日もけだるい空気が流れていた。仕事といえば事務手続きばかりで、しかも、その仕事のほとんどは南雲が「新入りなら雑務にも慣れていただかないと」とほざいて、堂々と八束に押し付けたものである。
 手の早い八束からすればそれすらも大した仕事量ではないのだが、それでも仕事を押し付けてきた張本人が横で仕事とは全く関係ない作業をしていると、流石にいらっと来る。
「そんなに生きがいを求めるなら、仕事しましょう、南雲さん。仕事も十分生きがいになりえます」
 その苛立ちを隠しもせずに言った、つもりだったのだが。南雲は意に介した様子もなく、つるりとした頭を机に載せたまま、器用に編み棒を動かし続ける。
「事務仕事とかめんどくさいじゃん。眠くなっちゃうよ」
「編み物も、十分眠くなれる案件だと思うのですが」
 どうも、南雲の中ではそれらは全く別であるらしく、眠そうに隈の浮いた目をしょぼしょぼさせながらも、熱心に編み物を続けている。
 八束が待盾警察署刑事課神秘対策係に配属されてから二ヶ月。遺憾ながら、これが当たり前の毎日になってしまっていた。
 恐ろしげな顔に似合わず手芸全般を趣味兼特技とするこの怪人は、仕事をほっぽり出して、日々新たな作品を生み出し続けている。ちなみに、作ったものは大概南雲の机を飾り、場合によっては八束や係長である綿貫栄太郎の机をも侵蝕しているが、時々数が減っているところを見るに、誰かに贈ったりもしているらしい。
 そんな、いてもいなくても仕事の進捗に関わらない主任を抱えて、八束が配属されるまで神秘対策係がかろうじて係として成立していたのは、ひとえに、大きな仕事がほとんど存在しないからだった。
 神秘対策係、通称「秘策」とは、待盾警察署独自の係であり、業務内容は「オカルトに属する事象に関する相談請負と解決」。魔法や妖怪、超能力といったオカルティックな現象が特別多い「特異点都市」待盾市において、人にも相談できない不可思議なものに悩まされる市民は、一定数存在する。そんな市民に手を差し伸べるのが、神秘対策係だ。
 無論、八束たちがオカルトを信じているわけではない。むしろ、その逆だ。待盾市の特異性を利用して、人知の及ばぬオカルトとして片付けられかけている事件。それらを、人の手による犯罪であると証明するのが、神秘対策係の本領である。
 とはいえ、そのトンデモ感とそもそもの知名度の低さから、神秘対策係の仕事は極めて少なかった。今、八束がパソコン上で処理している書類も、忙しくて書類仕事まで手が回らないという盗犯係の書類を代わりに捌いているだけで、神秘対策係本来の仕事ではない。
「やーつーづーかー、何か面白い話ないのー?」
「子供ですか! せめてちょっと黙っててください!」
 正直、この男が給料を貰っているのが理解できない。ついでに、公務員なのだから、それは市民の税金である。善良な市民がこの光景を見たら、十中八九この場にあるテディベアの首が全て飛ぶだろう。そして南雲がしくしく泣くだろう。想像するだけで鬱陶しい。
「ああ、そういえばさ、八束」
「何ですか? もう趣味と甘いものの話はなしですよ」
「仕事の話だよ。昨日、ファフロツキーズがあったんだって」
「ふぁふろ……、何です?」
 南雲は、一度編み棒を机の上に置き、机をカラフルに彩る要素の一つ、こんなところにあること自体奇妙な棒つき飴の卓上ディスプレイから、飴を一本引き抜きつつ言った。
「Fall from the skiesを略してFafrothskies。日本語では怪しい雨、って書いて『怪雨』。本来空から降ってくるはずのないものが降ってくる現象だな。八束は『マグノリア』って知らない?」
 マグノリア。まず頭に浮かんだのはその名を持つ花――木蓮だったが、文脈からすると、別のものを指しているのだろう。その音に引っかかるものをざっと脳内検索、南雲が意図しているだろうものを言葉にする。
「『マグノリア』って、映画ですよね? 見たことはありませんが、カエルがいっぱい降ってくるポスターは印象に残ってます」
「そ、ああいうのがファフロツキーズ。今日、綿貫さんはその相談を受けてるとか何とか」
「あ、だからいないんですね、係長」
 朝から対策室に綿貫係長の姿が見えなかったから不思議には思っていたのだが、おそらく、迷える市民の相談を受けているのだろう。相談役は、八束が配属される以前から、人当たりのよい綿貫が一手に引き受けている。
 係長に全て任せるのはどうかとも思うのだが、何しろ南雲は物腰はともかくこの見た目なので、相談に向かないどころの話じゃない。八束は一度だけ相談に立ち会わせてもらったが、その後一度も綿貫から声をかけられなくなった。つまり、そういうことである。
「それで、何が降ってくるんですか?」
「さあ。俺も詳しい話は聞いてない。一般的なのは、魚とかカエルみたいだけど」
 超常現象に「一般的」も何もないとは思うが。
 魚やカエルが空から降ってくるのを想像して、思わず苦いものを噛み潰した顔になってしまう八束に対し、南雲は棒つき飴をもぐもぐしながら、仏頂面のままぼんやりと虚空を眺めて言う。
「あー、でも、飴とかお菓子が落ちてくるなら、嬉しくなっちゃうなあ」
「いくら好きなものでも、空から落ちてきた得体の知れないものは食べたくないです」
「確かに、ものによっては口に合わないのもあるし、無差別はちょっと嫌だね」
「そうじゃありません」
 この男の頭は、甘いものと趣味でしかできていないのか。どうして曲がりなりにも刑事という肩書きを持っているのだろう、といつもながら不思議に思う。
「お菓子は横に置くとして、それって、どういう原因で起こるものなんですか? 流石に虚空から魚やカエルが生まれる、なんてことはないと思うんですが」
「諸説あるよ。一番有力な説は、竜巻とか上昇気流に乗せられたものが、上空を運ばれて降ってくるって話。でも、その現場を見た人はいないから、本当かどうかは謎」
 謎、というのは嫌な話だ。証明できないものは、否応なく八束を不安にさせる。この係の本来の目的は、オカルトを装うことで警察の手を逃れようとする者たちの犯罪を暴くことであって、本物のオカルトは八束の許容範囲を大幅に逸脱している。
 南雲も「流石にこういう出来事は、八束の手にも余るかもねえ」と、しかし緊張感もなくばりぼり飴を噛み砕きながら、編み棒を動かしている。自分で解決する気がさらさらない辺りが南雲の南雲たる所以である。
 と、その時、対策室の扉の向こうから、聞きなれた声がした。
「いやー、やれやれですよ」
 それと同時に扉が開き、係長の綿貫が入ってきた。どこか狐めいた細い目を更に細め、片手には紙袋を抱えている。開いた口から覗いているのは、八束も見覚えのある、最近発売されたチョコバーのパッケージ。
「係長、どうしたんですか、南雲さんじゃあるまいし」
 菓子イコール南雲、という認識の八束に苦笑を見せた綿貫は、南雲の机の上にどん、と紙袋を置く。南雲の机の上に、ものを置くようなスペースは存在しないので、何匹かのテディベアが下敷きになった。
「南雲くん、チョコ、お好きですよね」
「もちろん」
 即答である。
 綿貫は、そんな南雲の目の前で、紙袋をひっくり返す。すると、紙袋に詰まっていたチョコバーが机の上に溢れた。哀れぬいぐるみはチョコバーの海に溺れ――というか、チョコバーがぬいぐるみの海に沈んでいくようにも見えたが。
「これ、食っていいんすか」
 仏頂面ながら、眼鏡の下できらりと目を輝かせた南雲に、綿貫は何故か、少しだけ疲れたような顔で微笑みかける。
「ええ。どうぞ、八束くんも」
 そして、綿貫は袋の中に残った最後の一つのチョコバーを、八束に向かって無造作に放り投げる。少々慌てながらも無事チョコバーをキャッチした八束は、手元と綿貫を交互に見ながら、頭を下げる。
「あ、ありがとうございます」
「いえいえ」
 のそのそと奥の係長席についた綿貫を横目に、包装を剥いて一口。目の前の南雲は既に二本目に手をかけている。一本目をいつ食べたのか、八束は視認すらできていなかった。
 ともあれ、口の中に広がるのはチョコレートのほろ苦い甘さと、内側のさくさくとしたクランチの感触だ。独特の食感を確かめるように何度か咀嚼してから飲み込んで、最初に聞いておくべきだったことを、改めて問う。
「美味しいですけど、どうしたんですか、これ」
「ああ、降ってきました」
 こともなげに綿貫が言い放ったものだから、八束は、その言葉の意味を理解するのに、数秒を要した。
 ファフロツキーズ。本来空から降ってくるはずのないものが降ってくる現象。
「マジか、最高じゃん。現場どこっすか」
「南雲さん!」
 今までのゆるい態度が嘘であったかのように、素早く立ち上がる南雲。まさか本当に落ちてきた菓子まで食べるというのか。そこまで見境のない男なのか。いや、この男に常識が通用しないことくらい、八束も理解していたはずではなかったか。それはそれでどうかと思うが。
 すると、綿貫がくつくつ笑いながら言った。
「冗談ですよ、冗談。ただ、お菓子が降ってきたというのは事実なんですけどね」
「どういうこと、ですか?」
 さっぱり意味がわからない。ため息交じりに着席した南雲も、胡乱げな視線で綿貫に話の先を促す。
「昨日昼ごろ、菓子が降ってきたという報告があって、目撃者から話を聞いていたんですがね。先ほど、菓子の販売会社が訪ねてきまして、どうも新商品販促イベントとして、ヘリで上空から会場に撒くはずだったものを、誤ったポイントで少数撒いてしまったらしいということで」
 それが、風に乗る形でちょうど待盾に落下した、ということだったらしい。
 何ともあっけない解決に、八束も「は、はあ」と気の抜けた声を出すことしかできない。
「で、後始末は自分たちでやるとのことで、騒がせたお詫びとしてもらいました」
「なるほどー。得しましたね」
 南雲は三つ目のチョコバーの封を開けながら言う。だが、八束は渋い顔をせずにはいられない。
「……それ、収賄じゃないんですか、係長」
 けれど、綿貫はしれっとした顔で、人差し指を唇の前に立てる。
「ええ。そういうわけで、これは内密にお願いします」
 ――それでいいのだろうか。
 どうにも納得できない八束の目の前で、南雲は構わずもぐもぐチョコバーを食しているわけで。食べてしまったものを、返すわけにもいかない。難しい顔を続ける八束に対し、南雲はちらりと眼鏡の下から八束を見やり、ぽつりと言った。
「そんな怖い顔するなって。ばれなきゃ犯罪じゃないんだよ、八束」
「それ、警察官の発言として根本的に間違っていると思います!」
 八束のもっともな言葉に対し、南雲は大げさに耳を塞ぎ、綿貫はただ苦笑するだけで。
 八束は頬を膨らませながらも、食べかけのチョコバーを齧り取る。
 
 いくつもの不思議を抱える「特異点都市」待盾には、不思議の正体を暴く者がいる。
 それが、神秘対策係――通称「秘策」。
 ただ、彼らの毎日は、大概の場合、とことん怠惰で気だるいのであった。
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#時計うさぎの不在証明

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