No.58, No.57, No.56, No.55, No.54, No.53, No.52[7件]
●appendix / about Eugene Neville
ユージーン・ネヴィル。俺たち第二世代のリーダーだ。俺は案を出すことはできるが物事を決定するのは苦手で、トレヴァーもああ見えて上から命令されることで能力を発揮する、典型的な「兵隊」だ。アーサーは後から正規霧航士として認められたパターンだし、ゲイルは、うん、考えるまでもなく論外。というわけで、第二世代で生き残ってる奴の中でもジーン以外にリーダーを務められる奴なんていない。
ジーンは、霧航士としては凡庸と言っていい。いや、凡庸って言ったって、翅翼艇に乗れて正規霧航士として認められてる、って時点で十二分だけど、それでも尖った奴の多い第二世代じゃ肩身が狭いとよく愚痴っている。まあ、同期が二強のゲイルとトレヴァーだしな……。アーサーも、補欠だったのは単純に運が悪かっただけで、能力は平均以上だし。
ただ、霧航士としての能力とは別に、ジーンは、状況把握からの行動選択がめちゃくちゃ早い。行動選択が早いのはゲイルもそうだが、ジーンのそれは全体を見た上で、それぞれの方針を決定する能力だ。自分しか考えられないゲイルとは完全に一線を画している。
それから、覚悟が決まっている、って言えばいいのかな。東国の言い方を借りるなら、腹を切る覚悟。どこまでも俺たちを尊重し、一方で、いざって時には、俺たちの分まで全ての責任をとる覚悟。もちろん、本人がそう言ったわけじゃない。でも、俺たち第二世代は、ジーンのそういう姿勢も含めて、あいつを「リーダー」と認めている。
何でだろうな。ジーンが全部背負う理由なんて何一つないのに。あいつは、色んな事に真正面から悩みながら、自分が背負って当たり前だってことだけは疑ってない。元とはいえ修道士だし、まさしくその姿勢は「殉教者」のそれかもしれない。己の信ずるもののためになら、手を血に染めて、その身を捧げることすら辞さない。そういう奴だよ、ジーンは。
(語り手 オズワルド・フォーサイス)
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#談話室の飛ばない探偵たち
●appendix / about Arthur Pershing
――アーサー・パーシング?
うん、アーサーは面白え奴だよな。親父さんが軍の偉いさんなのに、親の七光りだって思われるのが嫌だから、わざわざ霧航士になろうって思ったんだってさ。霧航士って生まれも育ちも金も関係なく、完全に能力だけで選抜されるからな、霧航士になれれば、そいつはアーサーの実力であって親父さんの威光じゃねーってのは誰にでも明らか、ってわけ。
で、結局、霧航士としての才能も実力もあったんだけど、色々と運が悪くて、っつーか、アーサーって全体的に運がねーんだよな。霧航士になった後も貧乏くじ引かされまくってるし、女運もよくないし、この前なんてやっとこさ射止めたと思った女に金だけむしり取られて捨てられてたからな。流石に俺様もあれは同情して酒奢っちゃったもん……。
って、俺、今まで何の話してたっけ? まあ、アーサーの話ならいいんだよな。
あいつ、色んなこと知ってるし、耳が早いっつーか、最新の情報を捕まえてくんのが得意だから、話してて楽しいぜ。言うこと時々わけわかんねーんだけど、時々わけわかんねーのはオズも一緒だし、別に困ってはねーよ。頭の働くスピードと、頭の使い方が俺様とは根本的に違うんだろうな。高速演算、並列思考型だっけ? 何か、そういう分類らしいぜ。
だから、乗ってる翅翼艇も、本体に加えて並列で三つの子機を操る『キング・リア』ってやつ。前に乗ってた第一世代のねーちゃんが蒸発しちまって、それでアーサーに正規霧航士の肩書と一緒にお鉢が回ってきた、ってわけ。あれ、かーっこいいんだよなー。でも、あんなすげー船操れるのに、いつもオズには喧嘩腰なんだよな。オズはそもそも翅翼艇に乗れないんだから、比較なんてできねーのに。その辺り、アーサーとしちゃ、やっぱり色々複雑な思いがあんだろな。俺様には、よくわかんねーけどさ。
(語り手 ゲイル・ウインドワード)
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#談話室の飛ばない探偵たち
●appendix / about Trevor Traverse
トレヴァー・トラヴァースについて、私は詳しく説明することができそうにない。
表面上のことならば、いくつか。例えば、彼が隠密攻撃翅翼艇『ロビン・グッドフェロー』の乗り手である、とか。我々第二世代の中でも、否、霧航士全体から見ても稀有ともいえる精密飛行と精密射撃の両者を実現する言葉通りの優等生である、とか。船に乗っているときと降りているときとで、まるで別人のようである、とか。
そう、翅翼艇を操る際の彼は、ゲイル曰く「えげつない」「ろくでもない」「いやらしい」、言ってしまえば聞くに堪えない言葉を並べ立てて、己の限界を目指し、己と並び立つ『相手』を求めて情熱的に振舞う。特にゲイルの飛ぶ姿に対する愛情は偏執的で、それ故に『エアリエル』の僚機として常にゲイルの側にあろうとする。ただ、それでいて私やオズの指示を聞き漏らすことも、理由なく逆らうこともない。そういう点において、彼は極めて真面目というか、有り体に言ってしまえば「理想的な兵隊」と言ってよいと思っている。
一方、陸の上では神出鬼没かつ気ままな、猫のような生態をしている。ついでに、ゲイル個人のことは毛嫌いしている。これはトレヴァー自身の言葉だが、彼が一番嫌いなものは「何でもできると根拠もなく信じていて、実際にできてしまうタイプ」らしい。要はゲイルのことであり、つまるところトレヴァーの本質は努力家なのだろう。その努力は見せないけれど。否、それだけじゃない。彼は何も見せないのだ。本音も、感情も、背景も。
霧航士としては、兵隊としては、有能さを示せば十分だろうとトレヴァーは笑ってみせるし、霧航士の誰もが彼を「そういうものだ」と認めている。
それでも、私は、彼に対して興味を抱くことを止められずにいる。その温度を欠いた皮膚の奥に隠したものの正体を、知りたいと希うのだ。
(語り手 ユージーン・ネヴィル)
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#談話室の飛ばない探偵たち
●appendix / about Oswald Forsyth
嫌な奴ですよ。存在が嫌味にもほどがある。何しろ、あいつは本来なら「霧航士には成り得ない」。翅翼艇を操れない奴に正規霧航士の肩書きを与える余裕なんて、霧航士隊にはないんです。オレが、他の連中が蒸発するまで長らく補欠扱いであったように。
それでもオズワルド・フォーサイスは例外中の例外、前代未聞の「特別枠」の霧航士なんですよ。絶対記憶能力に分割並列思考、高速演算能力。それに生まれながらの特殊能力、一定の入力から限定的な未来予測すらも可能とする『虚空書庫』。完全に人間を辞めてるとしか思えない天性の才が、オズを航法士兼銃手専門の霧航士たらしめてるわけです。いやあ、マジで天才って羨ましいですよね。
あ、こうは言いましたけど、別にああはなりたくねーですよ。翅翼艇に乗るたびに、蒸発とは別に脳死の危険性があるとか、正直やってられませんよ。怖すぎるでしょ。
それと、あいつ、あんなに頭の回転速いのに、めちゃくちゃ鈍くさいんですよね。なまじ頭の回転が速すぎるだけに、体が全く反応できてない、みたいな……。いや、もしかすると、体だけじゃなくて人格もついてきてないんじゃねーですかね。ほんと、何であんなに不器用なんでしょうね。朴訥で、生真面目で、悲観的。でも、めちゃくちゃ素直で、いつだって、誰かのいいところを褒めて回ってるんですよ。それは俺にはないもので、素晴らしいものだ、って。
つまり、嫌な奴だけど……、いい奴、ですよ。嫌な奴、っていうのはあくまでオレの僻み、個人的な感想ってやつなんで、あんま気にしないでください。
まあ、仲良くしてやってくださいよ。あいつ、ほっとくと延々と一人で絵描いて遊んでる引きこもりなんで。遊び相手があのゲイルだけじゃ、かーなーりー、不安なんで。
(語り手 アーサー・パーシング)
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#談話室の飛ばない探偵たち
●appendix / about Gale Windward
ゲイル・ウインドワード! 素晴らしいよ、彼は! どれだけボクが腕を磨いても、不要な部分を削り落としていったとしても、きっと全力の彼には敵わない。彼は、紛れもなく、飛ぶために生まれた生物だ。偶然、人の姿を取って生まれてしまっただけで、ね。
君は知らない? 彼の飛ぶ姿を間近で見たことがない? それは人生を十割損していると言ってもいいよ! つまり生きてる価値がないね! そのくらい、彼の飛ぶ姿は――美しいんだ。ああ、どんな言葉も彼を形容するには足りない。単なる美辞麗句じゃあ意味がない。彼が『エアリエル』の翼を広げた瞬間、ボクの目に見えていた世界がどれだけ狭いものか、気づかされたんだ。ああ、この魄霧の海はあまりにも広く、それでいて彼はその全てをもってしても満足しないだろう。いつか、ボクらの遥か頭上を覆う天蓋にも辿り着いて、そこすらも突き抜けてしまうかのごとき飛翔。翅翼艇の機能をもってしても逆らいきれないありとあらゆる物理法則も、彼にとっては何の障害にもならない。吹き荒れる嵐ですら、ゲイルにとっては祝福と歓喜の歌声でしかないんだ。本当にそういう風に「聞こえる」んだよ、それが彼の能力の一つだからね。
もちろん、彼が自由に飛べるのは相棒の存在があるからだ。オズと共に在ってこそ、ゲイルは全力で飛べる。誰よりも速く、誰よりも高く、霧の海を駆けてゆくことができるんだ。何の憂いもなく、何の迷いもなく、ただ歓喜の声をあげながら――。
えっ、そういうことが聞きたいんじゃない?
……ゲイルの、人となりの評価?
ボク、前から思ってたんだけど。あれの頭の中、脳味噌の代わりに東方の豆腐とかいう白くてぷるぷるしたやつが入ってるって、絶対。
(語り手 トレヴァー・トラヴァース)
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#談話室の飛ばない探偵たち
●番外編:チョコレート・パラノイアその後
「南雲くん、嬉しそうですね……」
「そう見えます?」
来客用ソファに寝そべって長い脚をぶらつかせる南雲彰は、普段通りの死人のような顔色に仏頂面、という「嬉しそう」という言葉とは完全に無縁な顔をしていた。
しかし、五年間南雲を観察し続けてきた神秘対策係係長・綿貫栄太郎は「ええ、とても」と深々と頷いてみせる。
人一倍豊かな感情を抱えながら「表現する」という能力を欠いて久しい南雲は、それでも意外なほどにわかりやすい男である。表情ではなく全身で感情を表現する犬や猫のようなものだと思えばわかりやすい。
というわけで、南雲は今、かわいらしい小さな箱を、天井に向けて伸ばした手に握り、綿貫にしか見えない架空の尻尾をぶんぶんと振っていた。相方の八束ほどではないが、南雲も比較的犬っぽいところがある。ごろりと転がったきりなかなか動かないところは、犬というよりアザラシのようにも見えるが。
スキンヘッドに黒スーツという恐ろしげな見かけに反し、かわいいところもある――というか実際は女子高生みたいな感性の持ち主だ――部下に、綿貫はほほえましさを覚えずにはいられない。
「それ、八束くんにもらったんですか」
「そうですよー。あの八束ですよ? バレンタインって言葉もろくに知らなかった、あの八束ですよ?」
仏頂面ながら、南雲の声は弾んでいた。どうやら本当に嬉しいらしい。とはいえ、そこに含まれる喜びは「女の子からチョコレートをもらった」という喜びではなく、「バレンタインのバの字も知らなかった同僚がついに人並みに行事に参加するようになった」ことへの喜びであることは、あえて南雲に確認せずとも明らかだった。
ちなみに南雲はこれで女性から貰うチョコの数には困っていない。ただし、その全てはいわゆる「友チョコ」というやつらしい。何しろ昼休みに女性職員のガールズトークにしれっと混ざっているような男だ、要するに男だと思われていないのだろう。
「僕も八束くんから貰いましたけど、南雲くんのとは別のチョコみたいですね」
綿貫は南雲にも見えるように、箱をかざしてやる。中に入っているのは、トリュフチョコレートが三つ。本当は四つだったのだが、一つは既に綿貫の腹の中に収まっている。「甘いものは本腹、そして本腹が満たされたら別腹、別腹が満たされる頃には本腹が空いてる」という謎の永久機関を提唱する超甘党の南雲ほどではないが、綿貫も甘いものは好きなのだ。
南雲は物欲しげに綿貫のチョコレートを睨んだが、流石に人のものを奪わない程度の節度はあるらしく、上体を起こして自分の箱に視線を戻す。
「じゃ、こっちの中身は何なんでしょね」
本人に確かめようにも、八束は今日の事件の後始末を終え、既に帰宅している。仕事もないのにだらだら残っている南雲の方がおかしいのは、気にしてはいけないお約束である。
「気になりますね。見せてもらえますか?」
「いいですよぅー」
南雲は箱にかかっていたリボンをはずして、鼻歌交じりに箱を開く。
そして、速攻で閉じた。
「どうしたんですか?」
「……なんか、いたたまれなくなった」
南雲は、ぼそりと呟いた。そして、ソファから身を乗り出して、そっと綿貫にチョコレートの箱を差し出す。
綿貫は南雲から箱を受け取ると、恐る恐る蓋を開ける。
すると、六対の目が綿貫を見上げてくる。
そう、それはチョコレートだった。確かにチョコレートだった。
ただし、綺麗な球面を描くチョコレートは全て、デフォルメされた動物の顔をしていた。ワンちゃん、ウサギさん、リスさん、パンダさん、ブタさん、そしてアザラシさん……。かわいいチョコレートの動物たちが六匹、蓋を開けた者をじっと見つめているのである。そりゃあもう、きらきらと光るつぶらな瞳で。
「いたたたたまれないでしょ」
「確かに……。やたらかわいいですが」
「かわいい。めっちゃ好み。俺の趣味を反映させられるまで八束の気遣いレベルが上がってたのにもびっくりだけど、でもさあ」
――これ、食べるのめっちゃ躊躇われますよね?
南雲の問いに、綿貫は重々しく頷くことしかできなかった。
翌日、八束に「食べてくれないんですか?」と潤んだ子犬の目で見つめられ、「ごめんな……」と呟きながらチョコをもぐもぐしていた南雲がいたとかなんとか。
――後に聞いたところによると、とても美味しかったそうだ。
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#時計うさぎの不在証明
●appendix / inverted
談話室で新聞を眺めていると、扉が開く音がした。
そちらを見れば、見慣れた金髪の男、アーサー・パーシングが半眼気味の目を向けてきた。
「今日は一人ですか、ジーン」
「ああ。訓練が終わったから、休憩してたところだ。何か?」
「いーや、別に何もねーから来ただけっすよ。茶ぁ飲みます? ついでに淹れますよ」
「では、頼む」
それからしばらくして、アーサーは銀盆の上に二人分のティーカップと、紅茶の入ったポット、それにミルクピッチャーを載せて戻ってきた。ミルクを先にカップに注ぐのがアーサーの流儀らしいが、私は正直どちらでも構わないと思っている。
使い古されたカップには、我々がずぼらなせいもあるのだろうが、すっかり茶渋が染み付いている。うち、いくつかはどこぞの誰かが割ってしまっていて、カップとソーサーの数が合わなくなっていたりするが、それも含めて、懐かしさと微かな胸の痛みを感じるのだった。
自分好みに紅茶を注いだアーサーは、私の手にしている新聞を一目見て、む、と小さく唸った。
「まーた、例の殺人事件ですか?」
「何だ、アーサーが知らなかったのは珍しいな」
「オレ、昨日は傷心でそれどころじゃなかったんですって……。あー……、もう誰でもいいからオレに優しくしてほしい……」
また女に振られたのか。何年同じことを繰り返しているのかわからないが、そろそろアーサーは自分が女――に限らず、特定の誰かと恋愛という形で付き合うことに向いていないと気づくべきなのではないだろうか。私が言えたことではないので、言葉にはしないことにしているが。
己の紅茶を確保したアーサーがちょいと人差し指で新聞を指してみせたので、私はアーサーに新聞と交換する形でカップとソーサーを受け取る。アーサーの好みはミルク多めで甘さは控えめ。それに対して、ミルクも甘さも控えめなのが私の好みだ。どこまでも正確に私の好みに合わせられた紅茶に口をつけつつ、アーサーは長椅子に腰掛けて足を組み、新聞を広げるのを横目で見やる。
それもまた、いつもと何一つ変わらないアーサーの姿勢ではあるが、それと同時に不思議な既視感があった。同じような光景を、私は確かに知っている。ただ、今と違うのは、アーサーの横に鮮やかな色の髪を揺らして笑う男がいたということ。それから。
「死体が発見されたのは昨日の明け方、ですか」
過去の色あせつつある一幕から、私の意識を現在へと引き戻すアーサーの声。小さく頷きを返し、もう一口、紅茶で喉を湿してから私が把握しているだけの情報を反芻する。
「今回も以前の事件同様に、両手足と喉、それから頭を潰されていたそうだ」
「これで四件目。いやー、相変わらず首都警察は無能なこって」
アーサーはふんと鼻を鳴らして、片手に紅茶のカップを手にしながら、テーブルの上に広げた紙面に視線を走らせる。
「犯人の手がかりはなし、被害者に明白な関連性も見当たらない、と。強いて言えば、被害者は全員が五十代以上の、それなりにいい暮らしをしてた連中ってことくらいですかね」
「ただ、報道を信じる限り、金銭目当ての犯行でないらしい。被害者からは何一つ、所持品は奪われていなかったそうだ」
「奪われたものは命だけ、と。それにしたって、悪趣味な事件ですけどね」
とん、と。アーサーの指先が新聞の一点、被害者の殺害状況を指す。
「ただ殺されてるだけじゃあなくて、わざわざ手足と喉と頭が潰されてるんでしょう? しかも、手足を潰されてから喉を潰されて、その後頭蓋を割られてるってとこまでわかってる。つまり、被害者は痛みや失血で意識を失ってさえいなければ、一つ一つ、自分の手足が奪われていくのを見せ付けられた挙句に、悲鳴を奪われて、それから頭を潰されて殺されたってことですよね。正気の沙汰じゃない」
「どういう殺害手段であれ、殺人者が正気であるとは思えないがな」
アーサーは「ははっ」と笑い声を漏らし、紅茶を一口飲み下してから私を見据えてくる。魄霧汚染による褪色が始まっている、過去の記憶よりも遥かに淡く煙る青い瞳で。
「じゃ、オレら霧航士(ミストノート)も正気じゃないってことっすよね」
「当然だ。我々はとうに女神の戒律を破っている罪人だ。正気であるはずがない」
返事をする代わりに、アーサーはどこか皮肉げな笑みと共に軽く肩を竦めてみせた。それでも明確な反論が無い以上は、私の言わんとしているところを理解はしてくれたのだろう。何せ、同期の中でも私とアーサーは思想の面では最もかけ離れた位置にいる。故に、私とアーサーが同じ考えを辿ることはありえないが、それでも、こと我々の立ち位置について言うなら、辿りつく結論だけは同じだと思っている。
我々は霧航士で、つまり殺戮者だ。今までは戦争という大義名分を掲げてきたが、戦争が終われば己の罪と向き合うことになるだろう。
そして、その日は決して遠くはない。
アーサーはその日が来た時、果たして何を思うのだろうか。そんな思いをめぐらせながら、口はほとんど無意識に言葉を紡いでいた。
「……なあ、アーサー」
「何すか、リーダー?」
「随分前にも、こんな風に話をしたな。新聞に載っていた連続殺人の話を」
「ああ、あの、結局迷宮入りしちまった事件ですよね。あれは、未だにオレももやっとしてるんですよねー」
言われてみれば、そうだった気がする。殺人を実行に移した犯人は捕まったが、結局、死体から奪われた脳を「買った」人間は見つからなかった。私はその後の話を聞いていないし、アーサーもそれ以上を知らない以上は本当に迷宮入りしたのだろう。
かつてこの場で語られた話の中に、真実の一端は混ざりこんでいただろうか。どうしようもなく不謹慎で悪趣味な素人推理でしかなくて、おそらくその大半は妄想でしかなかったのだろうけれど、つい、記憶の糸を手繰り寄せずにはいられない。
思い出されるのは青く染まった、煙草を手挟む指先。立ち込める煙草の香り。そして、二度とこの場に戻ることはない声。私は、誰かのような絶対の記憶力を持つわけではないから、それらをもはや霞んだ断章のようにしか思い出せずにいるけれど。
「あの時みたいに、推理ゲームでもしてみるか?」
「はっ、ジーンの方から切り出されるとは思いませんでしたよ。不謹慎だとは思わないんです?」
「不謹慎は今更だろう。……本当に、今更だ」
アーサーは「そうですね」と認めてくいっと一気に紅茶を飲み干し、カップをいささか乱暴にソーサーの上に投げ出す。それから、元より下がり気味の眉を更に下げて苦笑いを浮かべてみせる。
「でも、オレら二人きりで推理したって楽しかねーですよ。人の話をろくに聞かねー鳥頭も、神出鬼没の白ゴキブリも、とぼけた天才様もいねーんですから」
「それもそうだな」
もはや時計台に残っている第二世代霧航士は私とアーサーだけだ。
トレヴァー・トラヴァースは交戦中に乗機『ロビン・グッドフェロー』と共に消息を絶った。とはいえ、彼と彼の乗機の真価は「隠密」ということもあって、霧航士たちの間では「あのゴキブリが死んだとは思えない」と言われている。
しかし、特に深い理由もないものの、私は彼が死んだと確信している。最低でも、二度と彼を目にすることはないのだろうと思っている。
また、ゲイル・ウインドワードも同時期の「決戦」で重傷を負い、療養のために乗機『エアリエル』と共に、西の果て、サードカーテン基地に転属した。おそらく、身体以上に精神が限界を訴えていたのだろう。私が時計台で最後に目にしたゲイルは、己を「英雄」と賞賛する声を聞きながら、今にも霧の海に飛び込みそうな顔をしていたから――せめて、静かな辺境の地で彼の心が少しでも癒えることを祈ることしかできずにいる。
そして、オズワルド・フォーサイスは霧の海に墜ちた。それ以上、語るべきことはない。
一人、また一人と失われていく。霧航士とはそういうものであると覚悟はしていても、彼らが確かにここにいたという痕跡は、私にとって微かな、しかし確かな痛みとして感じられるのだ。
果たして、アーサーは彼らがここにいないことをどのように感じているのだろうか。問うてみたくはあったが、アーサーが素直に答えてくれるとは思わなかった。半眼を少しだけ細めて、皮肉げな笑みと軽薄な調子ではぐらかすに違いない。アーサー・パーシングがそういう男であることくらいは、流石に、理解しているつもりだ。
すると、アーサーはとカップの縁を指でなぞりながら、ぽつり、と言葉を落とす。
「ああ、でも、一つだけ。こいつぁ推理ともいえない、単なる妄想ですけど」
視線をテーブルの上の新聞に向け、アーサーは、いつになく低い声で囁く。
「……オレ、今回の事件は『見立て殺人』なんじゃねーかと思うんですよね」
「見立て殺人?」
「ジーンはご存知ないですかね。探偵小説ではよく出てくる言葉ですけど。詩や歌、物語の一節を真似るように人が殺されていくってタイプの話、知りません?」
そのような話は確かに読んだことがある。童謡をなぞらえる形で、一人、また一人とその場に集った人間が殺されていく。一人は鳥のように両腕を広げて壁に張り付けられ、一人は花のように地面に血痕を広げて――、と、あまり心地のよい話ではなかったと記憶している。そもそも探偵小説なんて人が殺されるところから始まる話なのだから、心地よいものではないわけだが。
アーサーはそんな探偵小説の主要人物であるかのごとく、顎に手を当てて、伏し気味の目を細めてみせる。
「この連続殺人の犯人は、必ず被害者の四肢を潰して、喉を潰して、それから頭を潰してる。ただ殺すだけなら不要な手続きじゃねーですか」
「しかも、以前の『脳無し』殺人事件と違って、被害者から何かを奪うわけでもないのに、わざわざ手間をかけている、ということか」
「そう。だから、この『殺し方』そのものが何か特定のものに見立てたもの、ある種の『犯人からのメッセージ』なんじゃねーかなって思ったんですよ。……何に見立てたものなのかは、オレには皆目見当もつきませんけどね」
アーサーは顔を上げて、へらりと笑う。話はこれで終わり、ということだろう。なるほど、我々二人では、話はそうそう愉快な方向に膨らんではくれない。ただただ、私の脳裏に大事なものを一つずつ奪われていく誰かのイメージが焼きつくだけで。
もちろん、四肢を奪われる感覚を、声を喪う感覚を、頭蓋を割られる瞬間を、私が本当の意味で理解することはできない。私の両手足も、喉も、もちろん頭も、今もなお私のものとしてここにあるが故に。それでも、それが想像を絶する苦痛である、ということくらいは想像できる。痛覚を遮断できるように訓練された私でも、途中で痛みを自覚してしまう程度の、苦悶と、灼熱と、絶望であるに違いない。
しばしの沈黙の後、アーサーが深く息を吐き出して、己のポケットからシガレットケースを取り出す。しかし、その中には細かな装飾の施されたライターが納まっているだけだった。ちらり、とアーサーの淡い色の視線がこちらを向く。
「すいません、ジーン、煙草くれません? オレ、切らしちゃってて」
つい、沈みかけてしまっていた意識を引き上げて、「ああ」と自分の煙草の箱から一本引き抜いてアーサーに渡す。アーサーは己のライターで先端に火を灯し、吸い口に唇をつけて――思い切りむせこんだ。
「うえ、重っ。ジーン、こんなの吸ってましたっけ?」
「最近はな」
自分の分の煙草にも火をつけて、決して慣れることのできない、苦く重たい煙を吸う。この苦味が好みかと問われれば全くそんなことはない、が。
「……でも、そうですね。こいつは、懐かしい匂いだ」
そう、この重く沈む匂いだけは忘れたくないと思っている。
忘れてはならないと、思っている。
――全てが終わる、その時までは。
畳む
#談話室の飛ばない探偵たち