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シアワセモノマニア
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ハッピーをお届けする空想娯楽物語屋

No.1969

舞台、演じること、なるものについてあざらしは結構思いを馳せずにはいられないのかもしれないなあ~。ということを、つらつらと思う。
人よりも舞台の演劇見てはいない(全く見てない人より見てる気はするが)のはあるんで見当違いかもしれないけど、でも、画面で見るそれとその場で見るそれにはやっぱり明らかな情報量の違いがあるよなあ、とかそういうの。
なんとなく、画面越しだと、それが実在の人によって演じられてるとしても明らかにこの世界と切り離されてると感じられるけど、演じられるその場に自分が居合わせることで舞台上の異世界と自分が立ってる場所がひととき地続きになるというか。
なんか、自分がいるその場所も含めて異世界につれてってもらえる感覚? といえばいいのか?
あと、カーテンコールの瞬間に、ふっと「こちら側」に引き上げられる感じがほんとにね~好きで~。登場人物が役者さんに戻るとともに見てる側も現実を認識する……感じ!
あのカーテンコールの手触り、もちろん映像でも感じはするんだけど、本当に生の舞台だとめちゃくちゃ顕著に味わえるというか。
あのカーテンコールの瞬間で夢から覚める、みたいな感覚を味わいたくて舞台見に行ってるとこもあるかも……。

四月馬鹿達の宴の舞台の情報を見るべく劇団のアカウントフォローしてるんだけど、こう、役者さんが登場人物を演じるということをめちゃくちゃ噛みしめてしまうのだよな。
今そのときだけは彼らがそこにいる、ということ。架空であるはずの彼らが質量を持った存在として舞台の上にひととき存在するということ……。
どんな話でももちろんそうなんだけど、やっぱり、描かれたもの、が人の形を得る・人の肉体を借りるということについて思いを馳せずにはいられないよ~!

創作,舞台