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作:アルベール・カミュ
翻訳:岩切正一郎
演出:栗山民也
※2021年4月11日の記録
二回目感想は >>25
インプットをしよう! ということでありがたくも観る機会があり舞台『カリギュラ』(2019年版)を観ました。
ストーリーは上のリンクを参照していただくとして、完全に何もわからずに見たこともありかなりふわっふわとしてしまっている……。あとで感想やネタバレなんかを巡ってみようかなと思っています。
ただ、カリギュラの狂気と呼ぶべき何か……自分はそれが「狂気」だったかどうかわからないな、と思うのですよね。いや、一貫したものだからこそ「狂気」なのかもしれない、とも思うのですけど、カリギュラはどこまでも理性的であったなと思うんですよね。論理、とカリギュラは言ったけれど、確かに彼の中ではそれは一貫した論理であるし、ケレアもそれを認めている。(その上でケレアは「それでも私は」と続けるのだけれども……)
だからこそ、カリギュラの狂気は見る者を引き付けるのかなと思うんですよね。目を離せなくなる力がある。そして、カリギュラの周囲の人が離れがたくなるだけの何かを握っている。「カリギュラを理解してあげて」というセゾニアのシピオンに対する台詞とかほんとに……ほんとにさあ……。
実際にカリギュラを少なからず理解したとみられるセゾニア、エリコン、シピオンはそれぞれのやり方でカリギュラの側に在り続ける。シピオンは……最後には離れてしまうし、それが決定的な破滅の引き金になるのだけど、要するにそれぞれがカリギュラを構成するものでもあったというか……。もしくはカリギュラが捨てようとして捨てられなかった何かであったのかもしれないなーとも思うんですよね(シピオンが自己矛盾を起こしているのもカリギュラの自己矛盾の投影である、みたいな話を一緒に見てた人がしてくれたのが印象的でした)。
結局理解できたかどうかは怪しいんですけど、でもカリギュラの生き様とその結末には何か惹かれるものがあるんですよね。「月が欲しい」と言ったカリギュラのこと……。不可能、を求めたこと。それが愛した妹の死から始まっているというのもまた思うところがあり。それを認めなかった世界そのものへの反逆なのかな、というのは思うところ。反逆を肯定するということ……そう、カリギュラは自分に対して革命を試みるものも肯定するところがあり……実際、反逆を企んでいるケレアのことは殺していないところも……色々と思うところありますね。
まだまだ噛めるところいっぱいありそうなので……また機会があったら観たいですね~!畳む